「きよしこの夜」の真っ盛りです。キリスト誕生の前40日は「降霊節」というのでしょうか、教会の祭壇には紫の布が置かれるようです。
ところで、「きよしこの夜」が発祥したオーストリアの国旗。濫觴はオーストリア公であったバーベンベルク家(Babenberg)のフリードリヒ2世(喧嘩公)治下の13世紀。同公が神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世に対し反乱を企てたときに制定されました。デンマークの国旗とともに、現在でも使用されている世界最古の国旗のひとつです。第3回十字軍(1189年 – 1192年)に参加したオーストリア公レオポルト5世(レオポルド・ヘンデンサム)が敵の返り血を浴びて着衣が赤く染まったのですが、ベルトの部分だけ白く残ったという故事に由来すると伝えられています。
第3回十字軍は、キリスト教国軍が大苦戦した。それはアイユーブ朝の始祖であり「イスラムの擁護者」と目されたサラーフッディーン(サラディン。慈悲の人として宗教の別を問わずタック評価されています)の活躍によります。イスラム勢力に拠って征服された聖地エルサレムを、ヨーロッパのキリスト教諸国が奪還するために開始されましたが結局、果たせませんでした。レオポルト5世は、バーベンベルク家の第2代オーストリア公(在位:1177年〜1194年)。第3回十字軍に参加し、自身の功績を示そうと掲げた軍旗をイングランド王リチャード1世(獅子心王)に引き摺り下ろされたため、同王に恨みを抱くようになったようです。
レオポルト5世(有徳公der Tugendhafte)
このため、休戦成って帰還途上のリチャード1世を捕え、身柄を神聖ローマ皇帝であったハインリヒ6世に預け、膨大な身代金と引き換えに同王を釈放しました。
しかし、この英雄を捕えたことは、ローマ教皇ケレスティヌス3世の怒りを買い、レオポルト5世はカトリックから破門され、挙句はその直後の1194年、落馬事故により、早世したのでした。