祝・2020年 東京五輪開催決定

2020年に東京で再びオリンピックが開催されることになりました。ご同慶の至りです。


IOCロゲ会長が2020年の五輪を東京で開催することを発表した瞬間。
2013年9月8日午前5時20分(IOC総会が開催されたブエノスアイレスでの時間は7日午後5時20分)。NHKテレビ中継より。

毎日新聞の号外が配られた。

号外を手にする筆者。

何度も書きましたが、私は1964年の東京五輪組織委で国旗担当専門職員として2年余り働きました。組織委は早い段階で国旗の専門家を求め、未だ学部学生でしたが、外務省、日赤、ユネスコ協会などからの推薦により、私に話が来ました。事務局では最年少職員で各国の国旗の製作・掲揚にあたりました。

実際の仕事は多岐に及びました。繊維の選定、織り方の指定、原反の厳密な色指定、各国旗のデザインを調査し、見本を作成し、各国IOCに送付しての承認の取得、掲揚場所別の国旗の大きさの決定、各国別の国旗製作仕様の決定(ハギの入れ方、染か縫い付けかアップリケか、縫い糸…の指定)、掲揚ロープの選定、旗布とロープを結ぶ金具の創出、旗屋さんへの発注、指導、検査、実際の国旗の管理、掲揚訓練、競技場や表彰式での誤用阻止、盗難の防止…。閉会式の日(10月24日)にザンビアは独立し、開会式の入場式とは別の国旗で行進するということもありました。

国旗の製作で特に困ったのは、「日の丸」でした。外務、文部の両省や首相官邸、国会議事堂にも問い合わせましたし、実際にそれらを周って掲揚している「日の丸」を実測させてもらいましたが、全部バラバラ。試作品への確認はいずれからも敬遠され、結局、色も形も紆余曲折はありましたが、組織委で自主的に決めました。

国旗に関わる法律は、明治3(1870)年1月27日の太政官布告第57号(商船規則)しかありません。これは「縦横比7:10、円の直径は縦の5分の3、円の中心は対角線の交点より旗竿側に横の100分の2寄る」というものでしたが、私どもが採用したのは「縦横比2:3、円の直径は縦の5分の3、円の中心は対角線の交点に一致」という、同年10月1日の太政官布告第651号(海軍軍船規則)で決めたものと同じでした。後者は日本国憲法で海軍が廃止されたため、関連規則として廃棄されていたものです。赤はいずれも「紅」としか規定がないので、私どもで色合いを決めました。そのプロセスにもいろいろなエピソードがありますが、省略します。


1964年の東京五輪開会式の日。国立競技場での筆者。

札幌五輪(1970)に参加した国の国旗は東京五輪にすべて参加していますし、ほとんど先進国ばかりであり、それまでの6年間で国旗が変更されたのはカナダくらいで、私は関係者に助言した程度でした。

長野五輪(1998)のときは57歳、長野冬季五輪組織委式典担当顧問に就任しました。「日の丸」を大胆に?変えました。冬季五輪の背景は雪と氷。「円の直径を縦の3分の2とし、赤は同じ原反、白は白度を上げ純白」にしました。

ちなみに、1999(平成10)年8月13日の「国旗国歌法」では太政官布告第651号と同じデザインの「日の丸」を制定し、それまで有効であった第57号は廃棄するとし、但し、当分の間はそれによる「日の丸」をも国旗とみなすと決めました。私は衆議院での審議に当たり、参考人として公述し、「国旗国歌法」制定に賛成の立場で公述しました。

2020年はこの法律で「日の丸」の製作では困らないはずです。ただ、国旗を担当するというのは自分でいうのもなんですが、「ハタからみては判らない」くらい難しく、「しっかりハタらかなくてはいけません」。それでも「ハタしてうまくゆくか」不安です。

次期五輪の開催時期に私は79歳、今朝のテレビを見つめながら、健康に気を付けて長生きすることに決めました。

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