日本経済新聞(5月24日付、電子版)が、マケドニア地震から半世紀、日本の合唱団と「第9」を一緒に歌う計画が進められているとこんな報道をしていた。
東欧の小国マケドニアで6月、地元の国立劇場と日本の音楽愛好家らがベートーベンの交響曲第9番を合唱する計画が進んでいる。50年前に首都スコピエで大地震が起き、日本を代表する建築家の故丹下健三氏が街の再建計画を手がけた。日本も東日本大震災で支援を受けた縁がある。「喜びの歌」といわれる第9。関係者は「地震でつながる両国の絆を深めるきっかけにしたい」と願う。
同紙によれば「無事、行われたと思われる」とのことなので、それはそれで結構であり、めったに日本では報道されないマケドニアだけに、この際、その国旗を振り返ってみよう。
第二次世界大戦後、共和制になったユーゴが1946年に連邦制を採用すると、マケドニア人たちはスコピエを首都としてユーゴスラヴィア連邦のうちにマケドニア共和国を獲得、1991年に独立を果たした。
古代マケドニア王国の領地が自国にあるギリシャは、この国をマケドニアと呼ぶことを嫌い、ヴァルダル、スコピエなどと地名を使って呼んでいる。このため、独立を達成したマケドニア共和国が国際的にマケドニアの国号を称し、古代マケドニア王国の旗である「ヴェルギナの星」を国旗とすることに強く反発した。
このため、マケドニア共和国は国際社会から承認を受けることが遅れるが、1993年に妥協案として国際社会向けの暫定呼称をマケドニア旧ユーゴスラビア共和国として国際連合に加盟した。ただし、ギリシャはその後もマケドニアの国号を改めるよう要求している。
1991年、独立当初のマケドニアは、この黄色の太陽(ヴェルギナの星)を描いた旗を用いていた、隣り合うギリシャが青地に同様のデザインの旗をギリシャ領マケドニアのシンボルとして使用していたこともある、デザインの採択をめぐって両国政府間の論争を巻き起こした。
マケドニア側が公式に国旗を改定した後も、国内およびギリシャ領マケドニアのスラブ系マケドニア人はこの旗を民族旗として引き続き用いることが多いといわれる。
現在の8本の光を放つ太陽を描いた旗は、1995年、国際的な暫定呼称を「マケドニア・旧ユーゴスラビア共和国」と定めた際に併せて制定された。