国立競技場で国旗が逆さまに掲揚された - 1958第3回アジア競技大会

1958年5月24日、東京の国立競技場で第3回アジア競技大会開会式が行われた。参加したのはアジアの16カ国(現在はアジアとヨーロッパにそれぞれ46の国がある)から1820人。Ever Onward(限りない前進)をモットーに技と力を競った。


中華民国(台湾)の国旗「青天白日満地紅旗」

逆掲揚された中華民国の国旗(毎日新聞より)

ちなみにこのときの運営振りが高く評価されたことも、翌年、1964年のオリンピック東京招致決定の要因の1つとなった。

当時、秋田の高校生だった私はこの標語のすばらしさとともに、このときに初めて聴いた行進曲「威風堂々」のすばらしい音楽性に感動した。吹奏楽部に所属していたが、マーチといえばほとんどスーザの作曲になるものばかりで、たまにタイケの「旧友」とかワグナーの「双頭の鷲の旗のもとに」くらいのものだったが、「5球スーパー」のラジオから流れる開会式で演奏されたこの曲にすっかり魅入られてしまった。なにしろ(大作曲家の出ない?)英国のエルガーがこれを作ったのは1901年、そんな時代にこれをと思うと圧倒され、それを演奏しようともしない吹奏楽部を辞める気になってしまった。

閑話休題。ところが、開会式の翌日、5月25日、国立競技場での女子円盤投げ表彰式で三位に入った選手を称えるため電光掲示板上のメインポールに掲げられた中華民国の国旗「青天白日満地紅旗(青天白日旗)」がなんと逆さまだったのである。

ただちに表彰式をやり直し、田畑政治組織委事務総長と松沢一鶴式典委員長が謝罪文を持って新橋の第一ホテルに中華民国の選手団長を訪ね、陳謝した。中華民国といえば当時は国連安保理常任理事国。6年後の1964年に東京で宿願のオリンピックをと、懸命の招致活動をしていたわが国にとって、文字通り「青天」の霹靂ともいうべきショックだった。

私が学部学生だったにかかわらず、東京オリンピックの組織委員会に専門職員として招かれたのはこのショックがトラウマ化しつつあったお二人が、外務省や日本赤十字社(各国の国旗を「日の丸」と交換して集めていた)やユネスコ協会連盟(私はその機関紙に世界の国旗について連載していた)に問い合わせて、この3団体が私を推薦したのだそうだ。

あれから50年、今は亡き田畑さん、松沢さん、そして実務を担当して私に連絡を下さり、その後もいろいろご指導くださった森西栄一式典係長に深謝したい。

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