これはモンテネグロの国旗です。東洋と西洋の中間に位置する国であることを「双頭のワシ」が表わしています。「双頭のワシ」は東ローマ帝国に由来するもので、セルビアやアルバニアの国旗にも登場します。また、共和国でありながら国旗に冠が付いているのは、現存する最古の共和国であるサンマリノの国旗と同様です。
ところで、紋章の中央をご注目ください。中央にはヴェネツィアのしるしである「聖マルコのライオン」が描かれています。これはこのモンテネグロ地方がかつてヴェネツィアの領土として発展したことに由来しています。
1878(明治11)年、露土戦争の結果のベルリン条約で、東ヨーロッパにいくつかの国がオスマントルコから独立しました。モンテネグロもその1つで、日本は早速この国を承認し、明治天皇は象牙でできたワシを贈りました。翼の長さが1m以上あるものです。この象牙の飾り物はロシアでニコライ2世が戴冠したときに同じく明治天皇から贈られ、それは今でもクレムリンの武器庫といわれる博物館に展示されています。
実はこのモンテネグロに贈られた「象牙のワシ」について、この国を兼轄しているセルビアの日本大使館からモスクワの平野筆頭公使を通じ、3カ月ほど前に問い合わせがありました。吹浦のブログでモンテネグロのかつての王宮の門の中で見たということだが、どうしても見当たらない、というのです。
私は1979年に今のクロアチアのドゥブロブニクで開催された国際会議に出席したとき、休日を利用して急峻な坂道を観光バスで越え、間違いなくその「象牙のワシ」を見、国際社会に交わってゆこうとした明治時代の日本の気迫のようなものを感じ、感動したので、当時も何かに書いたし、今でもよく覚えているのです。平野公使は「旧ユーゴ崩壊の過程で破壊されたか盗難にでもあったか、外務省でも調査するが、さらに何位か情報があったら知らせてほしい」とメールをくれたので、いずれ当時の記録を調べて、お答えしようと思っています。
閑話休題。翼を持つライオンはイタリア・ヴェネツィア県のしるしで、「聖マルコのライオン」と呼ばれています。
これにはこんな事情がありました。キリスト教全盛期ともいうべき9世紀、オスマントルコの隆盛により、イエスの「福音記者(新約聖書の著者)」として知られる聖マルコの遺骸がイスラム教徒に抑えられる状況になったのをヴェネツィアに巧みに移送した故事です。
すなわち、当時、ヨーロッパ各国には、自国の存在をアピールしようとして各国が守護聖人を定める傾向がありました。ヴェネツィアも同様で、守護聖人に関心を抱いていたところ、聖マルコの遺骸がアレクサンドリア(現在のエジプト共和国)にありました。828年、ヴェネツィアはこの遺骸を確保し、海路、自国に移送したのでした。このことから聖マルコはヴェネツィアの守護聖人として定められ、崇められるようになったのです。
ですから、ヴェネツィアの「聖マルコ広場」にはもちろん、2013年9月に私が訪れた北イタリアのベルガモ、クレモナ、ヴェローナなどはもちろん、たくさん見ましたが、今ではそれぞれが独立国となったスロベニア、クロアチアなど、かつてヴェネツィア領だった各地に、彫像や建築物の浮彫、絵などとしてたくさん見ることができます。
このシンボル、ライオンが手をかけている書には” PAX TIBI MARCE, EVANGELISTA MEVS “とラテン語で書かれています。これは「我が伝道士(Evangelista)マルコよ、そなたに平和を」という意味です。