「大喪中ノ国旗掲揚方(けいようほう)」という閣令が今も有効である。これは、天皇の崩御に伴う国旗の掲揚の仕方について定めた日本の閣令であり、「大正元年閣令第1号」という立派な番号が付されたものだ。
大喪中ノ国旗掲揚方ぼ付図
1999年8月13日施行の国旗国歌法で制定された現在の日本の国旗
1870年1月27日に太政官布告で制定された「商船に掲ぐべき御国旗」。現行の国旗国歌法でも当分の間、使用を認めることになっている。
「縦横比7;10、円の直径は縦の5分の3、円の中心は旗面の中心より横の100分の1旗竿側に寄る」という奇妙?なデザイン。おそらくはフランスあたりからのお雇い外国人のデザイン感覚の影響をうけたのではあるまいか。
つまり、明治天皇(1852~1912年)が崩御(7月30日)され、大正と改元されたその日に閣令(明治憲法下で、内閣官制に基づき内閣総理大臣が発した命令)として定められたもの。もちろん、明治天皇の崩御により執り行われる大喪の際に国旗を官や民がどのように掲揚すべきかを定めたものだ。
「旗竿の先にある竿球を黒布で覆い、旗竿の上部に黒布を付けよ」と図を付して指示している。
ところで、この国旗の縦横比は1870(明治3)年1月30日の太政官布告第57号で決まっていた7対10のように見える。ただ、円の大きさ(直径)は現行法の「縦の5分の3」よりかなり大きく、長野での冬季オリンピックで使用した「縦の3分の2」を超えているかもしれない。
先般の東日本大震災からちょうど3年経った2014年3月11日には、私はの見る限りアメリカ大使館前の三会堂ビルでは確かに、この閣令に準じた弔旗を掲揚していた。
それもそのはず、といっては何だが、このビルに政府の復興庁(根本匠復興担当大臣)の本庁が入っている。この閣令をどこかで調べて、それに準拠して掲揚したものであろう。
復興庁がテナントとして入っている三会堂ビルに掲げられた弔旗。
逆光で恐縮だが、黒い布で覆った竿頭から黒布を垂らしているのがお分かりいただけるかと思う。億は駐日アメリカ大使館。
あちらの国旗は半旗にはなっていない。