先日、名古屋の徳川美術館を訪問した際、玄関を入ったすぐのところで久々に、家康が各大名に命じて駿府(今の静岡)城を造らせている様子を描いたこの図屏風を見た。
この絵は1607(慶長12)年、二の丸石垣構築の一部を受け持った加賀の前だけの活躍を描いたものとされる。
石の大きさに応じた修羅(木の反り)・牛車(ぎゅうしゃ)・天秤棒・籠などによる当時の運搬方法、高石が協力の構築方法など、当時の石垣建築の様子が解るが、本欄なら注目したいのは金地赤丸の「日の丸」。戦国時代以降、前田家や徳川家に限らず、「ここは一大事」というとき、この旗が必ず出てくるということ。
だから、「関ヶ原合戦絵巻」をはじめ、16世紀後半から徳川時代の初期にかけては、上杉、武田、織田、柴田、豊臣、石田、島津…ほとんどどの武将の戦いぶりを描いた合戦絵巻や屏風にも、さまざまな配色の「日の丸」が登場する。
幕命による築城は百万石の前だけによらず、いずれも大変な負担の強要であり、今月からの消費税8%なんてものではないさぞ辛い話であったに違いない。