ハンガリー動乱とメルボルンオリンピック②

ハンガリーのナジ選手団長は赤白緑の横三色旗に、赤い星と麦の穂と鎚(共産主義、農民、労働者の象徴)の国章の付いた国旗の掲揚を断固拒否し、選手村で共産政権以前の三色だけの国旗の掲揚を強く求めた。それでいながら選手団長としての選手団の引率と帰国に努め、大半をともなって帰国した後、反逆の同志とともに消息を絶った。

「20世紀の得点王」と呼ばれるサッカーの世界的名選手フェレンツ・プスカシュ(1927~2006)ら45人のハンガリー選手が動乱期に西側に亡命した。当時、プスカシュは、洪を代表するクラブチーム・ホンヴェードに所属し、初めての欧州チャンピオンズ杯に参加していた。

ホンヴェードの選手たちは11月23日、バスク地方ビルバオで行われたアスレティック・ビルバオとの試合を終えても帰国せず、本国からの呼びかけを拒否して親善試合を続けた。FIFAは翌年1月3日に全ての連盟にプスカシュも所属するホンヴェードとの対戦を禁止する通達を発したが、無視して南米に遠征するなどした。

このため、ブスカシュには18ヵ月間の出場停止処分が科された。


ハンガリー動乱ではそれまでの国旗から社会主義色の強い国章を切り抜いた旗を、反ソ運動で立ち上がった人々が使用した。
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