現在のスリランカ民主社会主義共和国は、1948年2月4日、イギリスから自治領セイロンという国名で独立した。1972年には国名をスリランカ共和国と改称し、英連邦内の1つの共和国となり、1978年から現在のスリランカ民主社会主義共和国という(朝鮮民主主義人民共和国並みの)なが~い国名となった。人口は約2千万。国名を改称したシリマヴォ・バンダラナイケは世界初の女性首相。この国では国民の7割が上座部仏教(小乗仏教)徒である。
公用語は2つ、正式な国名はシンハラ語で Sri Lankā Prajathanthrika Samajavadi Janarajaya、タミル語で Ilangai Jananayaka Socialisa Kudiarasu。英語表記は Democratic Socialist Republic of Sri Lanka。
人口の多数を占めるシンハラ人にちなんで、仏典では、島名をシンハ・ドヴィーパ(ライオンの島。獅子の島)といったことから、中国語では「師子国」と記されている。
スリランカはシンハラ語で、シュリー・ランカー。シュリーは「聖なる」という意味の接頭辞であり「光り輝く」「高貴な」といった意味合いを含む。ランカーは古くからこの島を示す固有名詞であり、正確な語源は判明していないという。
首都は昔はコロンボだったが、スリジャヤワルダナプラコッテ、これまた長い。数百語を連ねると言われるバンコクのフルネームに次いで、長い。すなわち「聖なる勝利をもたらす都市コッテ」。85年に遷都した。
那覇空港国内線出発ロビーで
スリランカでは多数派のシンハリ人と少数派のタミル人との長い戦いが、近年、ようやく終わった。
シンハラ語は「インドヨーロッパ語族インド・イラン語派インド語派に属す」のだそうだ。基本語順はSOV型であり、日本語と共通した特徴がいくつもあるそうだ。また、語頭にライオンを表す語 (simba、sīha) がついているのも特徴だそうだ。
シーサーもそんな文化的なつながりを思わせる1つと言えそうだ。
那覇空港ロビーのシーサー
スリランカの民族、シンハラ人は自らを「獅子の子孫」(シンハがライオンを指す)と呼称し、ライオンを「自分達を象徴するもの」としている。スリランカに残る古い言い伝えによれば、最初のシンハラの王ヴィジャヤは、ライオンを父親に持つシンハバーフ王の子だという。
シーサーはスフィンクスや中国の石獅(石獅子)、そして、日本の狛犬などと同じく、源流は古代オリエントのライオンとされている。
一般的には口の開いたシーサーが雄で向かって右側に置き、福を招き入れ、口を閉じたシーサーが雌で左側に置き、あらゆる災難を家に入れないとされているが、口の開け閉めによる雄雌の区別には議論があるという[。
沖縄の土産物店には小さく、ユーモラスなシーサーも
各戸の屋根の上に置かれるようになったのは、庶民に瓦葺きが許されるようになった明治以降である。それまでは、寺社や城の門、御嶽(うたき)、貴族の墓陵、村落の出入り口等に設置されるのみだった。材質は石や陶器(素焼きまたは本焼き)、漆喰(しっくい)によるのが基本だが、近年ではコンクリートや青銅製のものもある。
造形は一定ではなくさまざまな表情や姿勢を見せる[1]。
沖縄の民家の屋根にあるシーサー
スリランカの国章