1964(昭和39)年9月7日、オリンピック東京大会のための聖火が沖縄・那覇飛行場に到着。第1ランナーの琉球大学4年生・宮城 勇(22、現・沖縄国際大学教授)や戦災遺児ランナーの金城安秀などが走った。
当時の沖縄では、「日の丸」の祝祭日以外の使用は禁じられていたにかかわらず、膨大な数の「日の丸」の小旗で歓迎した。
米側は本土復帰運動が無秩序に高まること懸念した。一方、地元メディアは「聖火を日の丸で迎えよう」という運動を展開。
琉球新報は今でこそ、時々、どこの国の新聞かという記事を書くが、この時は「感激と興奮のうず 日本人の誇りかみしめ」の大見出しで沖縄の熱狂ぶりを伝えている。
余りの盛り上がりに、米軍は島民感情を考慮し、聖火リレーを国際的な祝典行事と位置づけ、3日間、「日の丸」を黙認した。
宮城が「日の丸」と五輪を描いた純白のユニフォーム姿で聖火を高く掲げると、「万歳、万歳!」の大歓声。現在、浦添市に住む宮城は「自分たちも日本人なんだ」という感覚が全身を貫き「震えが止まらなかった」2013年8月のNHKの番組で語っていた。
この時は、8月19~21日までの3日間、NHKが東京オリンピック特集を放映し、20日には私も出演した。ブエノスアイレスでのIOC総会で2020年の招致決定の直前であり、国内の機運盛り上げを図った番組だったのではないか。
宮城さんは現在、地元の大学教授であるが、先日(5月12日)もNHKで当時の沖縄の様子を語っておられた。お互いに、元気に2020年を迎えたいもの。
ところで、ちょうどこれを書いていた時、71歳のポール・マッカートニーの国立競技場での公演が本人のウィルス性の病症で再延長になったというニュースが流れていた。先日、「日の丸」のTシャツで成田空港に元気に到着したときにはとても元気だったのにと、残念だ。まさか、日本に何かタチの悪いウィルスが流行っているかのような誤解が起きないようにと願う。1日も早いポールの全快と復活を祈る。
また、原発反対を唱えまたまた立ち上がった細川護煕(76)と小泉純一郎(71)の両元首相。私は73歳、同じ70代なのだからと、いやでも気になる存在だ。細川さんはさすがに体調不良でこの間の記者会見を早々に退出(退散?)したという。
みんなで元気に次のオリンピックを迎えようね。余談が長すぎた。叩頭、多謝。
聖火は数えきれない数の「日の丸」で迎えられた
沖縄を進む東京五輪の聖火
聖火が沖縄に到着したときの宮城さん
宮城さん近影
東京五輪当時の筆者(日本テレビの映像)
1964年オリンピック東京大会開会式の日の筆者(国立競技場)
筆者近影(5月4日、国立競技場で)。
少年老い易く…の典型。