ドミニカ共和国の国旗の中央にある国章のそのまた真ん中に小さく描かれている『聖書』には「ヨハネによる福音書」8章:32節「そして真理はあなたがたを自由にします」とスペイン語で書かれている。そしてそれと酷似した、「真理がわれらを自由にする」という言葉が、日本の国立国会図書館の中央出納台の上に彫ってある。
ドミニカ共和国の国章
「あなたがた」なのか「われら」なのか、どうも納得がいかない。
「真理がわれらを自由にする」とこれは日本国憲法制定時の憲法担当国務大臣でもあった初代館長・金森徳次郎の筆跡、右はそれを『新約聖書』の原表記であるギリシャ語にしたもの。
国立国会図書館総務課の和田さんという職員に電話で訊いてみたところ、「これは国立国会図書館法の前文に出てくる」とのこと。日本国憲法は別として、前文のある法律とは珍しい。浅学菲才の身、全く知らなかった。なるほどこの法律(昭和二十三年二月九日法律第五号)に前文はとても短いものだが、こうなっている。「国立国会図書館は、真理がわれらを自由にするという確信に立つて、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される。」
これを読んで、
- 何とも文学的な表現が冒頭にあるなぁ、
- いわば特定の宗教であるキリスト教の『聖書』に由来するかと思われるこんな前文があっていいのかなぁ、
- 『聖書』(やドミニカ共和国の国章)は「あなたがた」なのに、国会図書館はなぜ「われら」なのかなぁ、
という率直な疑問がわいた。
これを和田さんに質したところ、稲村徹元・高木浩子 「「真理がわれらを自由にする」文献考」『参考書誌研究』35号(1989年2月)の1~7ページをみるようにと教えてくださり、ITに弱い老生には、電話の先でいっしょにPCを開きながら「まず国立国会図書館のHPを開き、オンラインサービスに入り、デジタルコレクションと進み、でてきた検索の文字を入れる枠内に<真理は…>と入れ、検索するように」と指導してくれた。これで当該書のデジタル版に到達することができた。
そこで、以下は同書による。詳しく知りたい読者は上記の方法でアクセスしてみてください。
国立国会図書館法案が議決された昭和23年2月4日の衆・参両議院本会議での説明を見ると、「国立国会図書館は、知識の泉、立法のブレーンになる。あらゆる材料をここに集め…文化の促進をはかり、産業の高揚をはかる仕組である」(中村嘉寿衆議院図書館運営委員長)、「従来の政治が真理に基づかなかった結果悲惨な状況に至った。日本国憲法の下で国会が国民の安全と幸福のため任務を果たしていくためには調査機関を完備しなければならない」(羽仁五郎参議院図書館運営委員長)という趣旨のことが述べられています。国立国会図書館は、「真理がわれらを自由にする」の理念の下、国会に奉仕するとともに、国民の情報ニーズにも応える機関として位置づけられています。
そして、この言葉は、法案の起草に参画した羽仁五郎参議院議員(当時)がドイツのハイデルベルク大学に留学中に見た、フライブルク大学の銘文に由来しているというのだ。
羽仁五郎(1901~83)といえば、我が国の“名門左翼”の一員。日教組の創立者であり、初代代表でもあったマルクス主義歴史哲学者。自由学園を創立するなど教育者である羽仁もと子の娘(説子)の娘婿。二人の息子が映画監督の羽仁進。
『参考書誌研究』35号によれば、「真理がわれらを自由にする」という言葉は、羽仁氏の出身地である群馬県桐生市立図書館には羽仁氏の筆で掲げられ、ほかにも大分県にある別府大学、明治学院大学の白金校舎の図書館の壁には英文で、横浜校舎の図書館の壁にはラテン語で「真理はあなたたちを自由にする」と書いてあり、北海道の北星学園余市高校の校門にも「真理は汝らに自由を得さすべし」という碑文が掲げられている、ということである。
いろいろ読んでみると、聖書が「あなたがた」であるのに対し、羽仁氏のように「われら」にしているのも多少あるようだが、国立国会図書館法が羽仁氏の意向と起草で前文を付加し、また、わざわざギリシャ文字でまで、ほとんど羽仁氏の創作ないしアレンジしたようなものを館内の最も目立つ場所に大きく掲げるというのはいかがなものだろうか。
ただ、この言葉を宗教的な意味でではなく、人文科学的な言葉として取り入れたという言い方にも一理はあろう。あるいは『聖書』からというのを避けて「あなた方」を「われらを」にしたのかもしれない。でも、それなら、国立国会図書館は『新約聖書』の言葉であるギリシャ語の表記をやめるべきではないか。無駄な権威づけや装飾は誤解を招く。
国立国会図書館としてより明快な説明があっていいし、それができないならギリシャ語での表記はやめるべきではないか。