津山藩が生んだ稀代の学者・宇田川榕菴について、日本で最初にカード(トランプ)を描き、遊んだ人と書いたところ、茨城県の高校生S君から、「トランプのK、Q、Jのモデルはいるのか」という質問が来ました。「これがきになっておちおち眠ることもできません」とあります。受験生に「おち」は禁物。私はカードの専門家でも何でもありませんが、この質問を専門家でないからと無碍に断るほど冷たい人間ではないつもりですので、判る範囲で回答してみましょう。
宇田川榕菴が自ら描いたKingとQueenのカードには名前がついています。
♠KingはDAVID、
♥KingはCHARIES、
♣KingはALEXANDER、
♦KingはCAZAR。
♠QueenはPALLAS、
♥QueenはJUDIC、
♣QueenはARGINE、
♦QueenはRACHEL。
DAVIDはイスラエルのダビデ王
(BC1040~961)
シャルルマ-ニュ大王
CHARIESはフランク王国を統一したシャルルマ-ニュ王、すなわちCHARLES、800年に西ローマ帝国を再建したシャルルマーニュ(カール大帝)。カードの王でただ一人髭がありません。
アレクサンダー大王
ALEXANDERはマケドニアのアレクサンダー大王。ギリシア語ではアレクサンドロス大王(BC356~323)、アルゲアデス朝のマケドニア王、コリント同盟の盟主、エジプトのファラオを兼ねた人物ですが、大遠征があまりに有名ですね。
シーザー
CEZARは、ローマのガイウス・ユリウス・カエサル、英語ではシーザー。(BC100~44)は、共和政ローマ期の政治家、軍人であり、文筆家。クラッスス及びポンペイウスとの第一回三頭政治と内乱を経て、スッラに次ぐ終身独裁官(ディクタトール)となり、後の帝政の基礎を築いたが、暗殺された人です。
パルラス・アテーナ
PALLASはギリシャ神話の知恵、芸術、工芸、戦略、都市の守護神を司るギリシア神話の女神アテネのことで、オリュンポス十二神の一柱。アルテミスと並ぶ処女女神としても著名です。ギリシャの首都は今もアテネであるのはこの女神が都市の神であるからです。
JJUDIC、すなわちJUDITHはアッシリアの将ホロフェルネスの恋心を利用して忍び込み、寝首をかいて殺害し、ユダヤを救った寡婦ユデトのこと。残念ながら画像を探し出すことはできませんでした。
パルラス・アテーナ
ARGINEは、キャサリン・オブ・アラゴン(Catherine of Aragon, 1487~1536)。キャサリンはアラゴン王フェルナンド2世とカスティーリャ女王イザベル1世との間の末子。イングランド王ヘンリー8世の1人目の王妃(1509年結婚、1533年離婚)、メアリ1世の生母。
<「偉大なるエリザベス1世の生母と対立した女性」または「ブラッディ・メアリー女王の母」という理由から、意図的に歴史を改竄し、キャサリンを誹謗する著作もあることは否定できない。現在ではキャサリンの埋葬されたピーターバラ大聖堂にある墓所には、「Katheren Queen of England」という墓碑銘が掲げられており、今もなおキャサリンに対して抱かれる英国民の敬意をうかがい知ることができる>(ウィキペディア)。
RACHELは『聖書』に絶世の美女として登場するラケル(ラッシェル、レイチェル)、
ラケル
『旧約聖書』の「創世記」に登場するヤコブの妻。「創世記」によれば、頼っていた伯父ラバンに「七年働けば結婚を許す」といわれ、それを信じて働き続けました。ところが7年経て、結婚式の後花嫁を見るとそれは姉のレアだったのです。ヤコブは怒るのですが、ラバンの求めでさらに七年働き、ついにラケルと結婚することができたのです。ラケルはこの話で知られています。
さてはて、ようやく国旗との関係です。
DAVIDはイスラエルのダビデ王にちなむ「ダビデの星」はイスラエルの国旗にある、聖三角形を上下に組み合わせた六芒星(ヘキサグラム)。
ALEXANDERはマケドニアのアレクサンダー大王の遺徳を称えるマケドニアの国名と国旗については、このHPの個別の国旗の説明をご参照ください。
ARGINEはスペインのフェリペ2世(アラゴン)との女王イラベラ(カスティリャ)の娘。コロンブスは二人のイニシャル「F」「I」を十字架に描いた旗を立てて、新大陸の存在を信じて乗船しました。新大陸に向う探検事業は二人の結婚を記念しての事業とされました。
なお、宇田川榕菴のものにも、現在の一般のカードにもJackについては通常、名前はついていませんが、本来は、以下の4人であるとされています。榕菴のカードでは、どのJも古代ローマの権力の象徴マサカリを担いでいます。
♠Jackは、シャルルマーニュ皇帝の従兄弟オジュール・ラ・ダン。
♥Jackは、ジャンヌダルクと戦ったラ・イール
♣Jackは、アーサー王の円卓の騎士として知られるサー・ランスコット(弟)。
♦Jackはアーサー王の円卓の騎士として知られるサー・ヘクターとサー(兄)
こうしてみると、200年前のヨーロッパの人たちが、歴史上や伝説上のどんな人に大きな関心があったのかがよく分かります。そしてそれを、文政4(1821)年という、まだ、ペリー来航の30年も前に、榕菴がおそらく自信で名付けた(当て字した)「珈琲」を飲みながら楽しんでいたと思うと、急にこの人物に親しみを感じてしまう私です。