楽天のHPからコピーした某社製の旗用フック。
この方式ですと、国旗の上下が逆に掲揚できるのです。
東京大会以降の日本でのオリンピックでは、逆掲揚防止のため、
①フックの色を金と銀とし、
②金は金のフックと銀は銀のフックとしか嵌らないよう、
一方の口を閉じる仕様にしました。今でも、国立競技場等はそのままになっています。
1964年10月、東京オリンピックのときのことです。
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とインドネシアの選手団は来日後、そのまま帰国しましたが、韓国の選手団は参加しました。ですから、国旗について心配したことは、何があっても、つまり組織委の関わることはもちろん、そうでなくとも、少なくともオリンピック開催の期間中、韓国と北朝鮮の国旗を取り違えてはならないということに気をつかい、関係省庁との連携を密にしました。
その際、気をつけなくてはいけないのは、政治的な意図のある人や単なる旗欲しさの「趣味の人」などによって、掲揚している国旗が引きずり降ろされたり、ロープを切断されて持ち去られたりするようなことのないよう防止することでした。このため、国旗を取り付ける位置や警備のあり方を工夫しました。
それ以前に、各国旗の上下を逆に掲揚したり、問題になるような取り扱いをしないよう、掲揚にあたった陸上自衛隊やボーイスカウトの人たちと何度も打ち合わせや実技訓練を入念に行いました。
各国旗の掲揚順は、競技場等で参加国旗を並揚する場合には英語の50音順に並べますが、参加しない国の国旗については掲揚要員の任務を解き、もちろん、掲揚のためのポールは1つずつずれます。末尾の空いたポールには五輪旗を掲揚しました。
また、参加をとりやめた北朝鮮とインドネシアの国旗は、開会式直前まで街頭や公園等で掲げていましたが、その国旗は全て撤収しました。
各国旗は、上には金色のフック、下には銀色の特製フックを縫いこんであり、ロープのほうにも金と銀のフックを取り付けました。金は金と、銀は銀のフックとしか嵌らないように一方のフックの口を塞ぐ方式にしました。それには、日本信号旗(株)の尾花良二さんという旗業界きっての専門家(その後、国連協会に勤務)にも知恵を借り、いろいろ工夫しました。
ところで、この工夫をしながら、私は童謡「月の沙漠」(加藤まさお作詞、佐々木すぐる作曲)の2番を思い出していました。
金のくらには 銀のかめ 銀のくらには 金のかめ
二つのかめは それぞれに ひもで結んで ありました
そして、そんな組み合わせにならないことを、ひたすら注意しました。
余談ですが、この歌に出てくる「月」はどんな月齢の月でしょう?
千葉県・御宿の白い砂浜を歌ったもので、その御宿には三日月のブロンズ像が建っていますが、明かりのない時代、三日月の夜に、移動するのはあまりに難しいということを、私はバングラデシュの長い長い砂浜で試してみて、これは無理だと思いました。漂流物や海草などがあり…、いや、そんなことを言うから、お前には詩心がないと叱られそうですから、やめましょう。
国旗のフックの話です。
最初は「知恵の輪」のようなものにして、訓練を受けなければ簡単にははずせないものをとまで研究しましたが、これはイザというときに嵌らなかったり、取り外せなくなったりという危険性もなしとしないし、ロープを鋭利な刃物で切断されれば同じことだとして、採用しませんでした。
ですから事前に、競技大会支援会社・清水スポーツのスタッフとともに、旗とポールを入念にチェックし、逆掲揚が起りえないようにしました。同様のことを、1970年の札幌、1998年の長野の両冬季五輪でも行いました。
引き釣り下ろす行為を防止するには、警備員とその巡回数を増やほかありませんでした。その後開発されたポールでは、国旗のロープを止める位置を高くして、はしごでも持ってこない限り手が届かないようにし、かつ、特殊な専用の用具で作業しなければロープを動かせないというものもありますが、これはオリンピックのような場合、いかにもやりすぎの防衛策で、私は必ずしも賛成できません。
結果として、東京オリンピックの期間中、2枚の国旗がロープを切断されて、盗難にあうという残念なことがありましたが、特定の国や地域の旗ではなかったので、単なる記念に持ち帰ったという動機と判断し、政治的な意図を感じませんでしたから、警察への届けもしませんでした。