オリンピック旗
(財)オリンピック東京大会組織委員会で専門職員として国旗を担当していた筆者のことを、1964(昭和)年の正月に、読売新聞は「こんな若者が五輪を支えている」と2日続けて、大きな記事で紹介しました。のちに大記者・ジャーナリスとして著名になった本田靖春読売新聞社会部記者が書きました。
当時、スポーツ評論家として名高い川本信正先生(1908~1996)がそれを見て、ブラッと立ち寄られ、「おお、キミか、この学生は」と記事を指差しながら、声をかけてくれたのです。
川本信正先生
若造のクセに、国旗担当専門職員としてたぶんデカイ面でもしていたのでしょうね。お恥かしい限りです。川本先生は、確か東京商科大学(現・一橋大学)のご出身で、陸上競技でかなり活躍した人だと聞いていました。その後は読売新聞運動部の記者になり、戦後しばらくしてフリーのスポーツ・ライターとして健筆をふるわれた方です。
「キミね、オリンピックをなぜ五輪というかは知ってるよな」
「はい、標章が青黄黒緑赤の5つの輪だからですよね」
「そりゃそうだ。子どもでも知ってる。5大陸を表わすということは小学生でも知ってる。じゃね、どの輪がどの大陸かな。黒がアフリカくらいはすぐわかるとして…」
「どの輪も特定の大陸を表してはいません」
「おお、感心、感心。なるほどキミはほんとに専門家だぁ」
と、特段褒められるほどのことではないのにえらく感心してくださり、
「よしよし、では、特別のことを教えてあげよう。オリンピックね、これを五輪と訳したのは誰だと思う?」
「戦前ですよね。わかりません。どなたか特定の人が訳したんですか?」
「私の目を見ながら、よ~く考えてご覧」
「…あっ! もしかしたら、先生が最初に訳したんですか?」
「まさにその通り。キミはなかなかいい感をしている」
と、またまたお褒めに預かりました。1936年のベルリンオリンピックのとき、川本記者(当時)が「五輪」と訳したのが始まりだそうです。
オリンピックの標章の形と宮本武蔵の「五輪書」からヒントを得た発想だとおっしゃっていました。当初は「5厘と聞こえて安っぽい」などと言われたそうだが、ほどなく日本中に定着した」と、こちらは2008年7月13日付読売新聞。
なお、1996年6月18日付の朝日新聞に拠れば、その4年前、ロサンゼルス大会の陸上男子100m走で活躍した吉岡隆徳選手を「暁の超特急」と名付けたのも、川本記者なのだそうです。
浅学菲才な筆者は北京オリンピックでも、中国語ではオリンピックをてっきり五輪と表記すると思っていましたが、「奥林匹克運動会」略して「奥運会」と記していましたね、驚きました。次回は、「倫敦奥林匹克」、いや、「ロンドン五輪」。同じ都市での3回目の開催ですから、きっとスマートで品のいい感動を与えてくれるでしょう。国旗の研究でも、英国海軍省は長らく世界一で、その編集になる『Flags of All Nations』では多くを学ばせて頂きました。
ロンドン五輪はあと二か月余りに迫りました。7月27日の開会式で私はまた国旗を凝視するに違いありません。きっと何か新しいヒントが得られるに違いないからです。