ヨーロッパではバルカン半島が古来、勢力が複雑に入り混じってきた所として知られている。では、アジアでは、となるとこれは「満州」が最たるものであろう。
2012年7月8日付産経新聞「産経抄」をまずごらん戴きたい。
1928年12月29日の早朝のことである。旧満州・奉天(現瀋陽)の町に「青天白日旗」が一斉にかかげられた。爆殺された父親の張作霖に代わり、この地の軍閥に君臨していた張学良の命によるものだった。歴史的な易幟(えきし)(旗を変える)として今もその名を残す ▼青天白日旗は張作霖と対立していた蒋介石の国民党の旗だった。易幟は張学良が蒋介石の軍門に下り、手を結ぶことを宣言していた。それ以来、この地の中国人による反日運動が強まる。危機感を持った日本の関東軍が満州事変を起こすことになるのだ ▼実は張学良はそれ以前から蒋介石と接近していたのに、日本側が気付かなかったとされる。それだけに町中に青天白日旗が翻ったとき、心底驚いた日本人は多かったという。だがそれから80年以上がたった今も、日本は中国の「旗」に困惑させられる ▼4日に沖縄・尖閣諸島沖で日本の領海を侵犯した台湾の活動家たちが、中国の「五星紅旗」を持っていた。活動家は香港に本部を置く政治団体に所属している。その団体は中国側から資金援助を受けているらしい。まるで中国、台湾の共闘による尖閣攻撃に見える ▼活動家たちが五星紅旗を持っていったのも、はじめから計画的だったと見てよさそうだ。中国外務省も活動家らを援護する発言をしている。中国が活動家らを「先兵」役として使おうとしているとの見方にもうなずける。現代版「易幟」のような気さえしてくる ▼そんなとき、政府がようやく尖閣諸島国有化に向けて動き出した。結構ではあるが、東京都の購入計画に渋々腰を上げた感もしなくはない。聞きたいのはあの手この手を繰り出す中国相手に国土を守る覚悟のほどだ。
もうひとつ、しかとご覧いただきたいのが、この未里周平『満州の落葉 - 敗者たちの記録』である。1911年の辛亥革命から49年の中華人民共和国の建国までのわずか38年あまりの間にその支配者の掲げる国旗が9つあったことを、一目瞭然に示している。
文芸社 2008年
そこには「法と正義」はなく「力」のみが物事を決定するという、動物的な世界と悲惨な歴史の繰り返しのみが存在している。
産経抄が言うように、果たして「あの手この手を繰り出す中国相手に国土を守る覚悟」がなければ日本とその周辺が「満州化」しかねないと、私も思う。日本側も「あの手この手」が必要であり、直接的防衛力以外にもとるべき手段はいろいろあるように思う。