2011年10月、大統領復帰への道を進んだプーチン首相(当時)は、ベラルーシ、カザフスタン両国とロシアがEU型の地域統合をおこなうユーラシア連合を提案しました。その後、まだ煮詰まってはいませんが、ユーラシア大陸に大きな影響力の復活を図ろうとする三選目のプーチンの大きな外交目標です。
旧ソ連邦の域内においては、本来の複雑な民族構成に加えて、人口の移動、特に構成国にロシア人が大挙して移住してきたことから、連邦崩壊後、いくつかの独立国内に民族問題が深刻を惹起させることになりました。
ソ連構成国だったグルジアで2003年に「バラ革命」が起こりました。その結果、モスクワからワシントンへの大きな舵の切り替えが起こり、ロシア厳しい経済制裁を加えました。ほとんどモスクワに行くたびに食事をした雀が丘(レーニン丘)の下にあるなじみのグルジア料理店でもグリジアワインは呑めなくなりました。
グルジア出身のスターリンが愛飲したとされるグルジアワイン「キンズマラウリ」はモスクワでは手に入らず、ここ数年、新宿のロシア料理店「スンガリー」でか、御殿場の特約店からのものしか味わっていません。
もっとも、なぜスターリンがこんなにも甘口のワインを好んだのか、私には少々解せないのですが…。
閑話休題。2008年8月7日にグルジアが同国自治州の南オセチアに侵攻したことに対し、南オセチアの独立を支持する立場からロシアは「報復」を宣言し、翌8月8日、軍を派遣して南オセチア問題に介入したのです。
南オセチアの「国旗」
アブハジアの「国旗」
すなわち、プーチン首相は北京五輪開会式に出た直後に帰路につき、やむに已まれぬグルジアが軍事的に動くと、ロシアが待ってましたとばかり戦端を開きました。グルジア領でありながらロシア人の居住者が多いアブハジアと南オセチアが独立を宣言したのです。
同年9月、南米の“異端児”ベネズエラのチャベス大統領が訪露し、これらの2“国”の承認を表明、ロシアから武器購入のための22億ドルの信用供与と石油資源開発のための300億ドルに上る投資の約束をしました。お金が国際正義を揺らすのですね。
逆に、10月末、訪露したエクアドルのコレア大統領は、独立承認を言わなかったため、経済的な支援は受けられず、軍用ヘリ2機の購入というだけで終りました。但し、ロシアが大規模な経済支援をするなら、この国も独立承認に向かうかもしれません。もっとも、エクアドルの原油は主としてアメリカが輸入しており、ことは簡単には進まないとの見方もあります。
ベラルーシはロシアの“両国“承認を支持すると表明しつつも、EUとの関係を考慮して慎重な態度になったり、ロシアからの大型援助を狙ってふらついたりしています。
沿ドニエストルの「国旗」
また、ロシア系住民の多い沿ドニエストル共和国がモルドバから一方的に独立を宣言、平和維持を理由にロシア軍が駐留しています。沿ドニエストルはスミルノフ大統領一族による独裁体制下にあります。同大統領はスターリンを全世界的な英雄として賞賛するなど、当時のソ連のような統治がおこなわれているのです。隣接するモルドバが将来のルーマニア(EU加盟国)との合体を夢見つつか、EU寄りの政策を採っているのと対照的です。
アブハジア、南オセチア、沿ドニエストル共和国の3か国は相互に国家承認し、2006年6月、スフミで開催され首脳会談で、共同体の設立を宣言しました。
ロシアのプーチン首相は、アメリカがセルビアからのコソボの独立を認め、グルジアからの南オセチアとアブハジアの独立を認めないのはダブル・スタンダードだと糾弾し、「領土保全を重視するならコソボはセルビアの一部だ。民族自決を重視するなら、南オアセチアやアブハジア人民の意志を尊重する必要がある」と述べている内容は、確かに正しいのですが、ロシアにとってそれはまさに天に唾するものの言い方というほかありません。
また、アルメニア人が多く住むナゴルノ・カラバフはアゼルバイジャンから事実上、独立、アルメニア軍が駐留しているのです。旧ソ連構成国間にはさまざまな問題が山積していて、とうてい、一筋縄では行かない状況です。
旧ソビエト連邦の構成国だったウクライナで2004年にオレンジ革命が発生し、その後、この2つの国がロシアよりもアメリカとの関係を重視するようになると、プーチンは強硬な手段で臨む道を選んだ。
ウクライナには、2006年1月に天然ガス価格をそれまでの特別な廉価から、西欧諸国並みへの引上げを表明し、これを拒否したウクライナへの流量を減らすなどの強硬手段をとり、世界中にロシアとのエネルギー協力に警戒感を広げました。