伊藤たちの意気込みが伝わってくるような内容です。そして、このあと、会場に掲げられていた「日の丸」を指さしながらつぎのように言いました。
「The red disc in the centre of our national flag shall no longer appear like a wafer over a sealed empire, but henceforth be in fact what it is designed to be, the noble emblem of the rising sun, …」
文中のwaferはウエハースのこと、すなわち、アイスクリームなどに添える薄くて軽い焼き菓子やカトリックのミサ(聖餐)用のパン、オブラート、そしてwafer capsuleと同じく封緘紙といった意味の単語です。
ここはむしろ原文を『伊藤博文伝』上巻で見ることにしましょう。
「我国旗の中央に点ぜる赤き丸型は、最早帝国を封ぜし封蝋の如く見ゆることなく、将来は事実上その本来の意匠たる、昇る朝日の尊き徽章となり、世界に於ける文明諸国の間に伍して前方に且つ情報に動かんとす」。
封蝋(sealing wax)とは当時、条約締結に当たっては署名の上に赤い朱肉のようなもの(封蝋)を置きその間をリボンで結ぶのが国際的な習慣でした。また、手紙の緘や高級酒の栓に付して、中身が手つかずであることを証明し、高級感を演出するために用いられることがあります。さらに気楽に、例えば、6月16日付の各紙に出ているYEBISUビールの広告にはこんな形で封蝋がデザインされています。
封蝋(ウィキペディアより)
もちろん、この演説で伊藤は、「日の丸」とはそんなものではない、誇りある日本の国旗だと言っているのです。
それはそうと、明石先輩は、伊藤のこのスピーチについて、こう書いています。
<この伊藤の演説は、いわゆる「日の丸演説」といわれ、その内容については様々に評価されているが、こと異文化コミュニケーションの視点で捉えてみると、多くの示唆に富む。伊藤の英語は、それほど達者でなかったという。今ではどのような発音だったか知るすべもないが、おそらく強い日本語訛があっただろう。しかし伊藤は全く臆する様子もなく300人のアメリカ人が見守る中、堂々と「日本はこのような国だ」と伝えている。(略)
伊藤のスピーチは、日本があたかも一発の銃声も使わない平和な革命を成し遂げた人道的な近代国家であるかのように聞こえる。 100パーセント嘘ではないが、かなり日本の有様を美化し誇張していることは間違いない。しかしそのことで聴衆にインパクトを与えたことは評価できる。…伊藤博文のスピーチは、アメリカ人たちの喝采を浴びたという意味で大変インパクトのあるスピーチだったといえよう>。
戊辰戦争(1868~69)からはまだほんとに日が浅いし、「日の丸」が「商船に掲げるべき御国旗」であるとされたのは前年1月27日の太政官布告第57号でであったのですから、まだ1年半しかたっていない時期のことです。この演説はまた、わが国の政府首脳が初めて国旗について公に説明したものなのです。
アメリカにしてみてもこの1971年というのは、南北戦争(The Civil War 1861~65)が終わったばかりです。南北戦争でアメリカは第二次大戦での戦死者の倍すなわち60万人あまりが亡くなっているのです。
伊藤の「日の丸演説」を聴いたアメリカ人はこの、南北戦争の悲劇を想起し、流血の惨事を極限した形で維新を遂げつつある日本に、ある種の畏敬の念を覚え、賞賛したのでしょうか。伊藤は、若干31歳とはいえ、一行の中でただ一人だけ留学経験者でした。とはいえ、その英語の能力については諸説ありますが、少なくともかなり通じたものであったように伝わっています。