先日、メゾソプラノの林美智子さんを囲む後援会が主催するプライベートリサイタルが開かれ、フランス歌曲を潤沢に聴かせていただきました。中でも、アーン作曲「わが詩に翼ありせば」が印象的でした。
翼は古今東西、人類にとって永遠の憧れです。ですから、国旗にもたくさん出てきます。
わが世代には「翼よ、あれが巴里の灯だ!」の史実や映画(ビリー・ワイルダー監督)に感動しました。これは1927年、はじめて大西洋単独無着陸飛行を達成したチャールズ・リンドバーグ(1902~74)の名言であり、その興奮は今でも伝わってくるように思います。
そうそう、リンドバーグはこのあと1931年8月23日、今で言う北方領土の国後島を訪れ、翌日、根室にも飛来しています。
そして、名曲「翼をください」(作詞/山上路夫、作曲/村井邦彦、歌/赤い鳥)。この曲が1971年にリリースされたとき、私は自由を謳歌する、まだ30歳の青年でした。ときはフォークブームのさなか。赤い鳥はこの1曲でメジャーになったのでした。
今わたしの願いごとが
かなうならば
翼がほしい
この背中に鳥のように
白い翼
つけて下さい
この青空に翼をひろげ
飛んでゆきたいよ
悲しみのない自由な空へ
翼はためかせゆきたい
今 富とか名誉ならば
いらないけど
翼がほしい
子供のとき夢見たこと
今も同じ
夢に見ている
*くりかえし
当時は、日本は右肩上がりの高度成長期であり、自由が至上価値であるかのごとく、若者は自己主張を展開し、学生運動は真っ盛りでした。
リンドバーグが訪問した国後島の爺々岳(北方領土の最高峰、1822m)を背景に、エトピリカを描いた、北方領土返還運動のポスター「鳥は自由なのに」が作られたのもその数年後でした。