去る12月3日小欄で「復興国債金貨」を取り上げ、「ハトとオリーブ」はいかがなものかと記しましたところ、実際にこの金貨をデザインしたという、忠本孝示さんからメールで、私(吹浦)の誤解であるとの指摘がございました。
以下、私とのメールの往来をご高覧下さり、読者のみなさまの判断を仰ぎます。
戦後、紙巻タバコとして専売公社から出されたPeaceのはこのデザイン
そのためには、まずは12月3日付の小欄を再録します。本来はこれに、この話を図案化したフィジーの国旗についても説明していますが、本論とは直接関係が薄いと思いますので、その部分は省略します。
復興国債購入者に贈られる第4記念貨幣のデザインが財務省により決定されたと、11月16日、各紙がいっせいに伝えている。
表はオリーブの枝を咥えたハト、裏は東日本大震災の津波でも倒れなかった陸前高田の一本松。公募作品から大阪府の診療放射線技師忠本孝示さん(60)歳のデザインが金貨となったもの。
もとより考案した方を直接知るはずもなく、恨みもない。しかし、率直に言って、復興国債のシンボルとして一本松には異論はないが、ハトはいかがなものかと指摘したい。
このハト、特定の宗教、ご存じの「ノアの方舟(箱舟)」に由来するものだからである。国旗ではフィジーの国旗(国章)に出てくる画像ではあるが、本来、『旧約聖書』創世記6章1~4節に登場するユダヤ教、キリスト教、そしてそれを参考にしたイスラムの『コーラン』にも出てくる話だ。
「創世記」に描かれるノアの物語はウィキペディアに拠れば、以下のような内容である。
ノアの父はレメクであった。ヤハウェは地上に増え始めた人々が悪を行っているのを見た。そこで天使アルスヤラルユル(ウリエル)を呼び、大洪水で地上の全てが滅びるが「ヤハウェに従う無垢な人」であったノアとその家族のみは生き延びさせるよう指示するようにいった。アルスヤラルユルはノアに箱舟の建設を命じた。
ノアは500歳で息子セム、ハム、ヤペテ(ヤフェト)をもうけた。ノアがヤハウェに箱舟を作るように命じられたのは恐らくこの頃で、箱舟の建造には数10年から100年の歳月がかかったと考えられる。箱舟はゴフェルの木でつくられ、3階建てで内部に小部屋が多く設けられていた。
ノア(当時600歳)は箱舟を完成させると、自分の妻と息子とその妻たち(計8人)と、すべての動物のつがい(清い動物「家畜」は7つがいずつ)を箱舟に乗せた。大洪水は40日40夜続き、地上に生きていたもの全てを滅ぼしつくした。水は150日の間増え続け、その後箱舟はアララト山の上にとまった。
40日後にノアは烏を放ったが、とまるところがなく帰ってきた。さらに鳩を放したが、同じように戻ってきた。7日後、もう一度鳩を放すと、鳩はオリーブの葉をくわえて船に戻ってきた。さらに7日たって鳩を放すと、鳩はもう戻ってこなかった。それによりノアは水がひいたことを知り、家族と動物たちと共に箱舟を出た。そこで祭壇を築いて焼き尽くすいけにえを神にささげた。ヤハウェはこれに対して、二度と全ての生物を滅ぼすことはないと誓い、ノアとその息子たちを祝福し、そのしるしとして空に虹をかけた。
これならば、紋章の一角に「ハトとオリーブ」が登場しても、納得できよう。しかし、なぜ、ユダヤ教以下の諸宗教と特段の関わりをもたない日本で、政府の発行するものが「ハトとオリーブ」なのか。
思いだすのは、敗戦直後にPeaceという巻煙草があったこと。濃紺の箱にはなぜか、ピースではなくPeaceと表示され、箱にはこの「ハトとオリーブ」が描かれていた。恐らくは専売公社が占領軍(連合軍)のご機嫌取りに案出したものだったのだろう。
(以下、この様子をデザインしたフィジーの国旗についての説明は略します。)
この一文に対して、早々に、以下のメールをいただいたのです。
吹浦忠正 様
2012年12月3日のHP「復興国債金貨、ハトとオリーブはいかがなものか」の記事、拝見しました。
知識、学のある人はすごいですね。原画を作成した忠本孝示です。
発表された説明に、一言もハト、オリーブの表現はされていなかったと思います。
私自身、造幣局の問い合わせに
「見る人の感性でカモメでもハトでも鳥であれば何に見えてもいい、鳥です」と答えています。
またオリーブをイメージしたのではなく藤の葉を表現しています。
それこそレンゲでもなんでもよかったのです。
自然の再生イコール復興に繋がる思いで植物の葉を鳥の周りにレイアウトしました。人それぞれ感じ方は違って当たり前ですが
ハトとオリーブとしか見えたのではない財務省と造幣局に感謝します。勝手な事を申し上げましてすいません。
追伸:タイトルが「豊かな自然と鳥」となっています。
自然の中の鳥がハトではおかしいでしょう。
また東日本、東北の地域でオリーブなんてあり得ないです。
忠本孝示さま
メール拝受いたしました。率直に感想を申し上げますことをお許しください。
「見る人の感性でカモメでもハトでも鳥であれば何に見えてもいい、鳥です」とのことですが、それは国際的に見て「詭弁」といわれるに違いありません。
「鳥が枝を加えて飛ぶ」というのは「ノアの方舟」の物語に由来するというのは、「知識、学のある人」が凄いのではなく、十字架をみればキリスト教だというのと同じです。
まして今回は「ノアの方舟」の物語を連想させるに十分な津波(洪水)です。
「自分は十字を描いただけであってキリスト教の印と見ようが見まいが知ったことではない」というのが無理スジの話なのと同じではないでしょうか。
さて、私がそれは「詭弁」だとまで糾弾したこのやり取り、読者のみなさまはどう思われますか?