昨年(2012年)4月7日、小欄は西アフリカのマリ共和国(旧フランス領)の混乱について書いた。「マリの国旗は交通信号と色の順番が同じ」などと呑気なことを言っていられない。緊迫さと干ばつによる飢餓が北部を送っている」。
そのマリ北部に、ついにフランス軍が空爆を開始した。フランスのオランド大統領は1月11日、フランス軍の地上、航空部隊をマリに展開し、軍事介入を開始したと発表した。北部を占拠し、「アザワド独立国」と唱えるイスラム過激派が10日、中部の政府軍の要衝コンナを制圧したことから、マリ政府が国連とフランスに軍事支援要請が出されたことによる。国連安保理は同日、加盟国に対し支援を要請していた。
フランスのファビウス外相はパリでの記者会見し、作戦の目的は「イスラム過激派の南進を食い止めるため」と述べ、北部のイスラム過激派占拠地域の奪還までは含まず、作戦は限定的なものになるとの見方を示した。フランスのオランド政権による他国への軍事介入は初めて。
報道によれば、11日の作戦では、フランス軍ヘリのパイロット1人が銃撃を受け死亡、フランス軍は中部に地上部隊を派遣した。介入は過激派の攻勢を阻止するため暫定政府の要請に応じて行われ、「必要な期間続けられる」という。
マリのトラオレ暫定大統領は11日、非常事態宣言を発令、同日夜、「各国民は兵士のように行動しなければならない」と演説した。イスラム過激派に制圧されたコンナは、フランス軍の支援を受けた政府軍が奪い返し、北部の主要都市の多くから過激派が忽然と消えた。
マリは1960年に独立。最大民族のバンバラ人、遊牧民トゥアレグ人など23民族で構成され、人口は約1600万人、その約8割がイスラム教徒。92年の民政移管後は民主主義が定着していたが、12年3月の軍事クーデターで混乱。11年8月、リビアのカダフィ政権の崩壊を受け、「大佐」の雇兵だったトゥアレグ人戦闘員や武器がマリ北部に大量に流入し、反政府組織が12年4月に北部で独立を宣言。その後、地元のイスラム過激派や国際テロ組織アルカイダ系勢力が掌握していた。
ロイター通信は12日、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)がマリ北部を支配する過激派を掃討するため、遅くとも週明けまでに合同軍を派兵することを決めたと報じた。
マリでは首都バマコで昨年3月に起きたクーデターを機に、複数のイスラム過激派が北部を制圧。暫定政府の統治は南部に限られ、国土は事実上南北に分断されている。国際部隊による本格介入は早くても今秋の見通し。混迷打開にはなお時間を要することになりそうだ。