3月5日、ベネズエラのチャベス大統領が首都カラカスの軍病院で逝去されました。2年に近い闘病生活を経、最後はキューバでの療養を切り上げて祖国で他界したのでした。
チャベス大統領
ベネズエラの旧国旗と紋章。
白馬の向きが逆だった。
豊富な石油資源を背景に、反米左派諸国の盟主として、好むと好まざるを別に、活躍した政治家でした。2012年10月の大統領選挙では東京にもかくにも4選を果たしたのですが、大統領職への復帰はかないませんでした。この逝去によってベネズエラの政治路線、とりわけ外交政策に変化があれば、米州地域のパワーバランスにかなりの変化が起こるのではないでしょうか。現に、オバマ米大統領はこの逝去にの報に「ベネズエラ政府と建設的な関係を築くことに関心を有している」と語り、次の政権との関係改善に期待するシグナルを送りました。
ベネズエラの国旗に登場する国章には白馬が描かれています。この馬が2006年3月に「右向き」から「左向き」に変更されたのです。膨大なりコストをかけ、国旗、国章、紙幣、コインなどいろいろ名者を作り変えました。馬の向きが変わったことについて。チェベス大統領は「ベネズエラは常に前向きである。振り返ってはならない」と説明したのですが、それならば右であろうと左向きであろうと構わないわけで、それをあえて左向きにしたことについては、左翼政権を暗に象徴しているのではないかという見方さえあります。
1954年の法律で政府用の国旗には国章を擁すると制定され、民間が使用する場合には国章を付さないのが普通でしたが、ウィキペディアによれば、「2006年8月2日の WBA ライトフライ級タイトルマッチ、亀田興毅対ファン・ランダエタ(ベネズエラ)の試合では国章が入っていたそうです。また、同じくベネズエラ出身の東京ヤクルトスワローズ時代のロベルト・ペタジーニ及び同球団時代のアレックス・ラミレス(読売ジャイアンツを経て現・横浜ベイスターズ)が打席に立つと国章が入った国旗が応援席に掲出された」ということであるそうです。これまたチャベス大統領の権威主義的発想によるのかも知れません。
もっとも、紋章がないとかつて大コロンビアとして1つの国であったコロンビア、ベネズエラ、エクアドル三国の国旗の区別が至難となること、最近では、インクジェットで複雑なデザインの国旗が製作しやすくなったことなども、紋章付の国旗の使用範囲を広めたことではないでしょうか。同様に、中米5カ国もかつては1つの連邦として独立したものがその後、分離したのですが、国内では紋章をつけない国旗も多いのです。しかし、最近ではほとんど紋章のついたデザインのものを使用しています。
また、ベネズエラで2006年の国章変更時に、国旗中央の星の数が1つ増えました。これはベネズエラが要求している東の隣接地をさすものとされていますが、そこはガイアナとして国連に加盟している独立国です。このため、8つ目の星については内外で異論が多く、7つに留めている国旗も使用されています。
さて、チャベス大統領の逝去で、自ら変更したベネズエラの国旗や国章が変更になるのか、内外の国旗研究者たちが早くも注目しています。