国立競技場・織田ポールの高さ

織田幹雄ってご存知ですか? 日本人で最初にオリンピック金メダリストになった人です。1928年のアムステルダム・オリンピック、三段跳びでのことです。三段跳び、今ではトリプル・ジャンプというようですが、このとき、15.21mの記録を出し、この偉業を達成しました。


織田幹雄(1905~98)

国立競技場織田ポールを背に筆者。
胸に付けているのは1964年の東京オリンピック組織委員会の会期中に自由にどの会場にも出入りできる職員用通行証。

これを記念して、国立競技場の正面から見て左、トラックでは第4クォーターに差し掛かるところに、15.21mの国旗掲揚塔が立っているのです。これは1964年の東京オリンピック当時のままです。当時は会期中、オリンピック旗が掲揚されていました。

織田自身はこのあと1931年10月27日に、15.58mの世界新記録を樹立しています。


海田小学校をイメージした『第33回織田幹雄記念国際陸上ポスター』
(広島市立大学藁谷実氏作)。海田小学校のHPから。

なお、国立競技場と同じ高さの国旗掲揚塔はもう一ヵ所、織田の母校である広島県海田町立海田小学校に立っています。


織田ポールの真下でテレビ取材を受ける筆者。

7月9日、久々に東京・千駄ヶ谷の国立競技場に立った。テレビ局側の指示により、その織田ポールのまで歩き、まず、その真下で、お話しました。私がいかに短駆(168cm)とはいえ、織田ポールの大きさをご覧ください。これをたった三歩で跳んだんですから。

このあと、南部忠平 (1904~97) は、1932年に開催されたロサンゼルス・ オリンピックの三段跳に出場、15.72mの世界記録を樹立して金メダルを獲得し、さらに、1936年のベルリンオリンピックでは田島直人が16.00mの世界記録で優勝、日本人が三連覇、その後のこの競技の発展に大きく貢献しました。

なお、現在までの世界記録は、男子はジョナサン・エドワード(英)が1995年に樹立した18.29m、女子は同年イネッサ・クラベツ(ウクライナ)が達成した15.50m、また日本記録は男子では山下訓史が1986年に跳んだ17.15m、女子は花岡真帆が1999年に挙げた14.04m。「跳躍的」進歩というほかありません。

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