8月20日付朝日新聞の夕刊に、高安京子さん(29)がネパールに学校を建てたことを大きく報じている。この人はいわゆる脱北者で、私が理事長を務める社会福祉法人さぽうと21の元支援性。相談員として長らく関わってきたHさんはこの報道以来「こんなに姿を公開して大丈夫か」と心配している。私は「ここまで知られたらむしろ安全ではないか」と答えを返したが。
高安京子さん。ネパールに建てた学校の前で
高安さんは北朝鮮北東部・咸鏡北道で育った。中学のときは重量挙げで道大会優勝し、テコンドーでもトップクラスのスポーツ万能選手だったという。祖母が日本人、祖父が在日朝鮮人の帰国者。私が他の人から聞いたところでは北朝鮮には32段階の「出身成分」があり、これは最悪のランクだとか。加えて幼いころ両親が離婚し、生活は大変なものだったそうだ。
19歳の冬。凍った川を渡り、親戚の男性と中国東北部に1年間潜んだ後、目指した日本に入国することができた。
高安さんは日本語学習に苦闘しつつ懸命に働いた。夜間中学や定時制高校では生徒会長を務めた。そうした中で生活を切り詰め北朝鮮の家族への仕送りもした。
そして10年。08年からの累計で約150万円を贈り、ネパールのラーベ村に貧しい子どものために英語学校サラソワティ・イングリッシュスクールを建てた。昼は東京都内のパチンコ店で働き、夜は東洋大学に通いながら、今もネパールへの支援を続ける。
今は7つの教室に2歳半から12歳まで約150人が通う。れんがの壁に今年はコンクリートを張り、黒板や椅子をそろえた。来年はパソコン2台を贈る。
こういう人を支援できたことは、社会福祉法人さぽうと21の大きな喜びである。
以下は、朝日新聞の石橋英昭記者の記事(一部)。
少し落ち着いてきて、何か新しいことがしたいと考えた。「ネパールの子どもたちの様子をテレビで見て、自分の子ども時代を思い出したんです。夢を持ってほしいなと」。
10年12月、校舎の引き渡し式で初めて村を訪れた。車を降りると、子どもたちが「キョーコ、キョーコ」と集まってきた。あの感激を忘れない。来春、学校の様子を見にネパールを再訪する予定だ。
「私は自分の人生を生きたいと思って、北朝鮮を出た。がんばれば評価され、喜ばれ、人と出会える。すばらしいことだと日本の若い人たちにも伝えたい」
昨年秋、日本国籍を取った。高安の姓は最初に住まいを貸してくれた恩人と同じ。最近ローンを申し込み、都内の新築マンションを買った。自分の足元が少しずつ固まる。
だから初めて、顔と名前を出して取材に応じた。