南太平洋に浮かぶフィジー、昔からの島民と英国の植民地政策でインドから渡来した人たちとの対立に加え、軍と民生の抗争、英国との位置取りをめぐる意見の対立、新太平洋諸国派と対中シンパなどが複雑に絡んで、政局は多端であり、国旗は揺れている。
英国からの独立以前のフィジーの旗
最近提案された新しいフィジーの国旗
まずはフィジーの国名。1998年に正式な呼称がフィジー共和国からフィジー諸島共和国へと改称した。しかし、2011年2月に再びフィジー共和国へと戻った。この間、国旗の変更も模索されたが、変わらずに続いているが、ここにきて改定の可能性がかなり高まってきている。
この島にやってきた最初の西洋人は1643年のオランダの探検家タスマン。次いで、1774年、イギリス人航海家のクックが上陸し、その100年後、この地がイギリスの植民地となった。
ところがこの後、イギリスは第一次世界大戦のころまで、砂糖のプランテーションでの労働に従事させるため大勢のインド人をフィジーに移住させ、フィジー社会の民族構成を激変させ、かつ複雑化させた。
伝統的フィジー系の人たちはこれではならじと、まず、1913年、アポロシ・ナワイを指導者に民族運動「ヴィチ・カンバニ運動」を開始した。
フィジーが独立したのは第2次世界大戦後の1970年、英連邦の一員として英国女王を君主とする王国という形でである。
ところが政治は一向に安定しないまま、1987年、ティモチ・バヴァドラが首相になったが、5月と9月にシティベニ・ランブカ陸軍中佐がクーデターを起こし、10月に共和国宣言をし、英連邦を離脱した。それでも英国旗「ユニオン・ジャック」をカントンにのこしたままの国旗だった。
3年後の1990年、フィジー系が主体になって憲法が公布された。そして、1997年、これをさらに改正。英連邦に復帰した。
翌98年、国名をフィジー諸島共和国に変更したので、いよいよ国旗を変更するかと注目したが、諸案が出たものの国旗はそのままで続いた。これで政局は安定するのかと思ったのだが、いやいやどうして、これからが大変だった。
99年5月の総選挙でインド系のマヘンドラ・チョードリーが首相に就任。労働党を中心とする初の政権誕生となった。
ところがちょうど1年後、ジョージ・スペイト率いる部隊がこの首相を人質に国会議事堂を2ヶ月占拠し(国会占領事件)、軍が戒厳令を発令し、7月、フィジー人であるガラセを首班とする文民暫定政権を発足させ、翌2001年9月の総選挙を経て、そのガラセが首相に就任し、5年後にも再任され、安定するやに期待を集めたのだった。
ところが2006年12月、今度は、フランク・バイニマラマ軍司令官がクーデターを起こし、軍事政権となった。これは国際社会から厳しく糾弾され、ニュージーランド、オーストラリア、EUなどが援助停止や入国禁止などの圧力を加え、大使の相互引き揚げなどが行われた。軍事政権はメディアへの検閲を実施し、オーストラリアABC放送の記者らを国外退去させることなどもした。他方、国内にはイギリス国王(女王)を元首に戴く立憲君主制へ復帰すべきであるという意見も強い。そうした混乱の中で、新興援助国である中国が、フィジーを南太平洋進出の拠点としようと、援助を急増させるという事態となり、混迷のフィジー政局は当面安定しそうにない。
総人口に占めるインド人の割合はかつては半数以上を占めていたこともあったが、それがこの10数年で36%まで落ち込んだ。
2009年4月9日に高裁が軍事政権を違法と判断、翌10日にジョセファ・イロイロ大統領が憲法を廃止し、バイニマラマ軍司令官を暫定首相に就任させた。イロイロ大統領は憲法を廃止して自らが政府の実権を握ったと言明し、バイニマラマ軍司令官を暫定首相に再任し、国内に30日間の非常事態宣言を発令し、総選挙を2014年に先送りすると表明した
民政復帰のため選挙は2014年まで延期することになった。
同年7月28日、イロイロ大統領が健康上の理由をあげ退任を発表。後任にはエペリ・ナイラティカウ副大統領が就任した。
他方、同年9月1日には英連邦(British Commonwealth、加盟53カ国)が、2010年10月予定の民主的選挙の未実施を理由にフィジーのメンバー資格停止を発表。これは2009年5月2日に太平洋諸島フォーラムが、フィジーが民主的な選挙をなかなか実施しないことを理由にメンバーとしての資格を停止したことに追い打ちをかける国際的な圧力となっている。
2011年2月に国名をフィジー共和国と国名を改称、何とか内外での安定的な国家運営を図ろうと努力しつつあるようだ。
国旗は「ユニオン・ジャック」をカントンに配した水色の地に紋章を付したものだが、政府が用いる国旗は水色の部分が英国旗と同じ濃紺である。
フィジーは1987年から約10年間、英連邦を離脱していたが、その間も「ユニオン・ジャック」のついた現在の国旗を使っていた。特にこの間は、「ユニオン・ジャック」の付かない国旗の採択が試みられ、いくつかの案に絞り込んだが、どれも正式な採用には至らなかった。なお、2005年11月には評議会にて国旗内の国章を独立前の紋章に戻すべきだとの決議がなされている。
付記:独立以前の国旗の紋章下部には国標(national motto)である Rerevaka na kalou ka doka na tui と現地語で書かれている。これは英語の”Fear God and honour the Queen(神を畏れ女王を讃えよ)”という意味である。