赤十字ゆかりのソルフェリーノを遠望

今般、北イタリア・ガルダ湖南端に突き出た保養地シルミヨーネをたまたま訪ねた

1859年6月24日、そのすぐ南の低い岳稜地帯ソルフェリーノでデュナンに拠れば1日に4万人(死者は3万2千とイタリアの教科書にはあるとのこと)もの死傷者という、19世紀最大の激戦が行われた。イタリア半島の統一のため、北イタリア地方を支配するオーストリア軍を駆逐しようとするヴィットリオ・エマヌエーレ2世麾下のサルデーニア王国軍と、それを応援するナポレオン3世率いるフランス帝国軍の連合軍が、フランツ・ヨーゼフ1世が統率するオーストリア帝国と対峙したのだ。


サルデーニア王国の国旗

フランス第2帝国時代の国旗

オーストリア帝国の国旗

スイスの青年アンリ・デュナン(1828~1910)はたまたま隣町のカスティリオーネにさしかかり、寝食をわすれて救護活動を行ったことが、赤十字の創設とジュネーブ条約の締結になり、第一回ノーベル平和賞受賞者となった。

『私のアンリー・デュナン伝』の著者で、赤十字最高勲章であるアンリー・デュナン章の受賞者である恩師・橋本祐子先生に引率され、1978年以来だから、ほぼ35年ぶりだろうか、ソルフェリーノを遠望した。懐かしいとはこういうことだと、デュナンの思いや「ハシ先生」の思い出、1964年の東京でのパラリンピックのことなどを思い起こし、再確認した。

このソルフェリーノ戦いでのサルデーニア軍の勝利はイタリア統一に大きな一歩を記すことになり、イタリアはその後のガリバルディの奮闘もあって、1861年に統一国家となった。

しかし、ナポレオン3世は東南の隣に統一国家でできることを拒否し、ヴィッラフランカの和約をもってオーストリアとの戦争を休戦にした。そして、プロンビエールの密約に従い、サルデニアは応援してくれたお礼として、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の故地であるニッツェ(ニース)とガリバルディの故郷であるサボイ(サボア)はフランスに割譲せざるを得なかった。

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