読売新聞で吹浦と1964東京五輪のことが

9月24日付の読売新聞で私が1964年の東京オリンピックで国旗を担当したことが取り上げられています。写真を見て、つくづく「少年老い易く…」を思い出しました。いかんせん、肺炎の治療中の撮影ですので、読売写真部の方は素敵な女性でしたが、これではいかにも年寄りです、嗚呼!。記事のままでは読みにくいかと思いますので、データでも紹介します。

国旗が結んだ世界との輪 64年東京五輪 式典用に製作=東京
2013.09.24 東京朝刊 33頁 写有 (全944字) 

◆学生で担当 海外支援のきっかけに

1964年に開催された東京五輪で、参加した93の国・地域の国旗製作を行い、それを機に、海外への支援活動をライフワークとして取り組んできた人がいる。外交政策を提言するNPO法人「ユーラシア21研究所」(港区)理事長の吹浦忠正さん(72)。2020年の東京五輪・パラリンピック開催が決まり、「大会を通じて、日本人が世界の国や人々を理解するきっかけになれば」と期待している。(山村英隆)

「日本の沈んだ気持ちを吹っ飛ばすいい機会になる」

吹浦さんは今月8日、7年後の東京開催が決定したニュースを聞き、興奮した口調でこう語った。

吹浦さんは、1964年の東京五輪で、早稲田大4年の学生でありながら、国旗に関する知識の豊富さを買われて、組織委員会の式典担当の専門職員を務めた。

国旗にのめり込んだきっかけは、小さい頃に自宅に貼ってあった世界地図。地図に描かれていた色とりどりの国旗に魅せられ、大学の時には国旗に関する本も出版した。

五輪で担当したのは、開会式などで使う国旗の製作。それぞれの国や地域の国旗のサイズや色を調べ上げ、確認のため、現地の五輪委員会に製作した国旗を送る作業が続いた。

64年10月10日の開会式は、国立競技場(新宿区)の式典本部から各国の入場行進の様子を双眼鏡を使って見つめた。掲げられている国名と国旗は正しい組み合わせになっているのか--。

「私たちの前を1か国ずつ通過するたびに、ほっとしました」

閉会式当日、地域として参加していた「北ローデシア」がザンビアとして独立。吹浦さんは、当日の朝、選手村へ新たな国旗を届けに行き、選手の一人と抱き合って一緒に独立を祝った。

「将来、この国のために何かしたい」との思いは、同国への支援活動として現在まで続いている。

「国旗を知ることは、国を知るための第一歩」との思いは今も強く、最近は子ども向けに国旗についての講演会を積極的に行っている吹浦さん。「中学生なら、7年後は20歳前後。自分のように五輪に携わる子どもを見つけたい」と夢を語る。使命感を持った人が大会運営に携わることで、「国同士が理解し合える成熟した大会になれば」と願っている。

写真=「7年後の東京五輪開催で、国際理解が深まれば」と話す吹浦さん=吉川綾美撮影
読売新聞社

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