タイの首都バンコクで反政府デモを続ける野党・民主党を中心とする勢力は連日街頭デモを続け、対立は日に日にはげしくなってきている。
最後の切り札かプミポン国王
写真はNHKのテレビ放送より。
11月25日、財務省などのビルを占拠し、外務省でも座り込みを始め、12月3日には首相府にもなだれ込んだ。この事態を受け、インラック首相、バンコク全域と周辺県の一部に治安維持法を適用することを発表した。しかし、そのことがむしろ野党側を一層、奮い立たせる傾向になり、あとは、国民に絶対的な人気と尊敬の念の集中するプニポン国王(ラーマ9世)の出番ではないかと見られる。
そこで「プ」王が12月5日に86歳を迎える誕生日の挨拶で、この事態に触れるか、あるいは何らかの形で事態の収束を図るかがにわかに注目されている。
思い起こすのは、1992年のこと。タイではスチンダが首相に就任したが、民主化を望んでいた国民は反発し、バンコクを中心に激しい抗議デモが起こった。このとき、軍はデモ隊を鎮圧しようとし、300人以上の死者が出る大事件となった。そこで、ラーマ9世はこの事態を憂慮し、スチンダと民主化運動の指導者チャムロン・シームアンを王宮に呼び、膝をついて国王の前に並んだ二人に、事態の収拾と沈静化を指示した。
これを受けてスチンダは首相を辞任し、アナンが首相に復帰し文民政権の樹立が図られ、デモ隊は騒ぎを収束させた。
日本での「2.26事件」(1936)年にも、昭和天皇が「奉勅命令」をもって反乱将兵に部隊に戻るように指示して、これを無力にしたということが想起される。2月27日、午後、拝謁に訪れた川島陸相に対し陛下は、「私が最も頼みとする大臣達を悉く倒すとは、真綿で我が首を締めるに等しい行為だ」「私が直接近衛師団を率いて鎮圧に当たる」と強い意志を表明し、暴徒徹底鎮圧の指示を繰り返したのであった。
それにしても、昨今、反政府デモを行う人たちが、国旗を掲げ、振り回す例がとても目立つ。リビア(王政時代の国旗)、エジプト、シリア(元のシリア国旗)、トルコ、ウクライナなどでそうした例が続いている。
日本のデモでは国旗「日の丸」を掲げるのは、新大久保で時々行われるあの忌まわしいヘイトスピーチ行進のときくらいだ。原発反対、機密保護法に反対する人たちが「日の丸」を掲げて行進してはどうか? 自分は真の愛国者として、こうした動きに賛成するというなら、堂々と国旗を掲げて行進すべきではないか。