10月初めになって、パラグアイの国旗が7月15日に変わっていたことを確認できた。もし、これが1964年の東京五輪(10月10日が開会式)の時だったら、組織委で国旗を担当していた者として、どうしていただろうかと思うくらい、怖い話だ。パラグアイの国旗のことは近々、詳しく報告したい。
付箋を付けた国旗が東京五輪以来変更になり、ロンドン五輪ではこの倍以上の国と地域が参加した。
2020年の五輪には、この倍以上の国と地域が参加することになろう。
1964年の東京五輪で掲げたカナダの国旗
東京五輪当時のバルバドスの旗
1964年の五輪当時、国旗の掲揚に絶対に齟齬がないように、最終的に必ず掲揚要員の責任者が再確認するための手引きである「第18回オリンピック東京大会国旗カード Flags of the 18th Olympiad」を組織委競技部式典課として作成した。
それを時々、出してカードをめくっては懐かしくもあり、また、国旗の変化の多さにいまさらながら驚くのである。参加93カ国・地域中、39カ国の旗が少なくとも一回変更されている。つまり、半分近い国旗がその後、変わったのである。
中にはアフガニスタン、イラク、カンボジアのように数回変更になったところもあれば、カナダのように東京五輪直後に国旗を変更した国もある。また、ソ連やユーゴスラビアのように連邦が解体し、多くの国に分かれて、先のロンドン五輪に参加した国もある。さらには、東西ドイツのように1956年のコルティナダンペッツォオリンピックから1964年の東京オリンピックまでの6大会に、オリンピック用の東西ドイツ統一旗の下で参加した例もあった。東西ドイツ統一旗については項を改める。
2020年の東京五輪、準備にあたっては今からでも、予想される200を超える国と地域の旗をフォローしていて早すぎることはない。今回のパラグアイの国旗の変更情報でも、私にとっても正直言って「ま・さ・か」だったのだから。