日本の軍隊においては、基本的にあらゆる軍需品、就中、歩兵銃は陛下からお借りしているものという位置づけにあった。したがって、村田銃以降のすべての小銃に菊のご紋章が刻印されていたし、陸軍では連隊旗の旗竿の先端(竿頭)や、海軍では軍艦の艦首に金色の金属製の菊花紋章が付されていた。
明治38年に開発されたことからその名のある「三八式歩兵銃」。
長らく世界の最高水準の歩兵銃と言われた。
忘れられないのは、フィリピンのルバング島で30年間「戦闘」を継続した小野田寛郎元少尉のこと。私の師匠・末次一郎先生は陸軍中の学校二俣分校(静岡県)で小野田さんの同級生(二俣会会長)として、何度も捜索に赴き、帰国後のお世話に挺身した。このため、小野田さんの歩兵銃は私が長らく事務局長を務めた末次事務所に長らく、保管されていた。
その銃は、いつでも使用できる保管振りであったし、菊の御紋章もはっきりと刻印されていたのが印象に残っている。
現在でも日本の在外公館の玄関の上には、菊花紋章の浮き彫りがある。また、衆参両院の議員バッジには「十一菊」の紋が使用されている。また、自民党の党章も、「陰十四菊」の中央に「自民」の2文字を書き入れたもの。
菊と桜は我が国において諸外国の国花に準じた扱いを受けている。