オランダはスピードスケート王国

ソチでの冬季五輪が終わった。羽生の金はもちろんすばらしかったし、次回以降にも期待するが、真央ちゃんの失敗から立ち上がっての迫真の演技と、そして涙もすばらしかった。さらに、あれほど強かった沙羅ちゃんがメダルを獲れなかった若さとオリンピックの怖さも、7回連続出場の葛西主将の銀メダル、毎回上位にありながら、ついに入賞を逃した上村愛子選手も、みんなすばらしかった。


オランダ選手のユニフォームはオレンジ色。
もちろん、オラニェ公家に由来するものだが、国旗の場合、この色では遠く、特に海上では判りにくいということで、早くから赤にすることが多かった。それには公家(王家)との距離を論ずる説もある。しかし、1937年ウィルヘルミナ女王の勅令により、赤に統一された。それでもなお、オリンピックなどでオランダ選手たちはオレンジ色をナショナルカラーとして尊重して、ユニフォームなどで示す。

ニューヨーク市の旗。
このまちはかつてニューアムステルダムと呼ばれ、オランダが拓いた町であった。そのなごりがこの市旗にある。

1928~94年までの南アフリカ連邦(後の南アフリカ共和国)の国旗。オランダゆかりの国民が多いことが三色に表わされ、中央には旧ケープ植民地を示す英国旗と並んで、旧オレンジ自由国、旧トランスバール共和国という2つのオランダ系独立国(ボーラ戦争で潰えたかつての独立国)の国旗が描かれている。

しかし、私はもう一つ、スピードスケート競技におけるオランダの強さに驚嘆した。オランダは12種目のうち8種目を制した。なぜそんなに強いのかと、素人思案を巡らしていたところ、毎日新聞(2月23日付)で、こんな分析をしていた。

スピードスケートはオ空気抵抗の大きな低地リンクへの対応が奏功した。標高が高く、空気抵抗が小さい高地リンクを拠点とする北米勢が低迷し、米国が30年ぶりにメダルゼロに終わり、カナダも前回の5個から2個に減少。北米を合宿先とする日本勢もまた2大会ぶりに全種目で表彰台を逃した。

ソチのリンクは氷が柔らかくて重いというのが多くの選手の評価だった。米NBCテレビのスピードスケート統計担当を務めるオランダ在住のヨハン・バンデンフーブルさん(70)も「このリンクは氷の上を滑るのでなく、氷の中を滑る感覚。力がないと滑れない」と分析する。1年前にこのリンクで世界距離別選手権が行われており、情報を得てからの対策が明暗を分けた。

オランダは拠点のヘーレンフェインが同じように低地のリンクであることも後押しとなったが、風をまともに浴びる凍結した川の上を滑ったり、屋内リンクでも簡易型パラシュートを背中につけて滑ってスタミナ強化に尽力した。

重いリンクに対応するため、体のキレよりもパワーを重視して体重を増やした小平奈緒(相沢病院)が女子500メートルで5位と健闘したが、それも個別の動きで、代表全体としてのソチ対策は見られなかった。

個人種目の入賞は、小平に加え、男子500メートル5位の加藤条治と同6位の長島圭一郎(ともに日本電産サンキョー)。実績のある3人で、若い世代が育っていないのも深刻だ。ジュニア世代で活躍する日本選手は多いが、その後、逆転される。スピードスケート代表選手団の石幡忠雄監督は「今のままでは駄目なことは、はっきりしている」と悲痛な表情で総括した。

この競技については長野冬季大会の覇者・清水宏保が橋本聖子日本選手団長の統率力を批判したり、聞くところによると、日本の関係者の中に、学閥、派閥…さまざまな閥があるらしく、総合力を発揮できない体制にあるらしい。

石幡監督の「今のままでは駄目」の「今のまま」は何を指すのか、報道もこの点を掘り下げ、しっかり指摘してほしい。

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