もっとも、「日の丸」を単純に「侵略の象徴」というのはおかしいではないかという意見もあります。
次に紹介するのは、『朝日新聞』1994年9月1日付の投書欄に載ったもの。案外、前線兵士のホンネだったのかも知れないと私は思います。
昭和20年の8月下旬、私は、今の中国吉林省東部のトーメン(図們)で、ソ連軍により武装解除された。出征の際、勤務先の同僚、友人が寄せ書きして贈ってくれた日の丸も取り上げられた。散乱するおびただしい日の丸を見て、戦友が「ソ連兵は日の丸が憎いのかな」とつぶやいた。
いま、日の丸は戦中、戦後をひきずったまま揺れている。侵略の象徴と見る人もいるが、戦場体験者の私は、必ずしもそうは思わない。あの旗に「大和魂」などという精神的な何かが込められていたかどうか。兵隊の多くが日の丸を大事にしたのは、郷里の人々の寄せ書きににじむ厚意を無にしたくなかったからなのだ。
日の丸に、神がかり的な日本精神や国威発揚といったものを持ち込んだのはだれか。日の丸の赤い色に日本人の赤誠と情熱が宿るなどと、おかしな精神主義をこじつけたのはだれか。オリンピックでの日の丸など、日本選手が試合をしているというシルシであり、標識ではないのか。
古風な戦前の「日の丸観」を、今こそ清算しなければならぬ。日の丸こそニッポンの標識、平和のシンボルとすべきである。