ハンガリー動乱とメルボルンオリンピック①

メルボルン大会(1956)の1か月前の10月23日、自由を求めるハンガリー人民の昂揚がピークに達したとき、ソ連軍はブダペストに侵攻した。これにより人民蜂起は直ちに鎮圧された。現在、10月23日は「1956年革命」の日とされている。


現在のハンガリー国旗。
1956年の動乱後、国民への融和策の1つとして、国旗からソ連色の強い国章を取り除いた。

ハンガリー人民共和国時代(1949~56)の国旗。
労働者と農民が共産党の下で社会主義を推進するという象徴。

ソ連軍の再度の侵攻で幕となったハンガリー動乱直後に開催されたのがメルボルン大会。この動乱でハンガリーでは1,200人の処刑者を含む約7,000人が亡くなり、25万人近くの人々が難民となって国外へ逃れた。メルボルン大会にはソ連に抗議してオランダ、スペイン、スイスが参加を取りやめた。

水球のハンガリー対ソ連の試合。乱闘騒ぎにまで発展(「メルボルンの流血戦)。現場にいた秋山如水共同通信特派員(この後、東京大会組織委外国報道室長)は「両国選手がプールに沈んだまま浮き上がらず、血潮が糸を引いて水の中から湧き上がってくる光景を目撃した」。

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