キルギスの国旗の説明に不備


キルギスの国旗

キルギス在留のある邦人の方から以下のメールを拝受しました。

はじめまして。
タディの国旗の世界を見せていただきました。
いろいろな国の国旗について詳しく書いてあって大変勉強になりました。
ひとつ気になることが、以下のページに

https://worldflags.jp/flag/nis/kyrgyz-republic/

「赤地に遊牧民族の住居パオ(移動式テント)ユルト(キルギスではオエイともいう)の天井部分を描き、太陽を象徴したデザインを付したもの
とありますが、キルギスではオエイとは言いません。

キルギス語で、Боз үйと言い、日本語の発音ではボズウイが近いでしょうか。

キルギスに住んでいまして、キルギスの間違った情報が伝わることを嫌い、誠に勝手ではありますがメールさせて頂きました。

ご覧いただいた小欄の説明は以下のものでした。

国土の2/3が海抜3000m以上であり、中国の天山山脈北部と接する。ウイグル、モンゴル等の支配をへて、1870年代からロシアの支配下に。ロシア革命直後の1918年、ロシア内の自治共和国になり、1926年にソ連の一構成国となった。

当時の国旗は赤地の中央に青白青の3本の帯の入ったもので、労働者と農民を表わす槌と鎌のマークが入っていた。

アカーエフ大統領は、モスクワでのクーデター未遂事件直後の1991年8月31日に独立を宣言、同年末のソ連崩壊で名実ともに独立国となった。その後しばらくはソ連時代の国旗から槌と鎌のマークを外したものを国旗として仮に使用していたが、新国旗のデザインが公募され、1992年10月、新しい国旗を制定した。

イスラム国家でありながら、国旗にはその様子がみられない民族の伝統を反映したデザイン。赤地に遊牧民族の住居パオ(移動式テント)ユルト(キルギスではオエイともいう)の天井部分を描き、太陽を象徴したデザインを付したもの。

光芒が40あるのはキルギスが40もの部族からなっていることを示している。赤はキルギスの叙事詩「マナス」にも謳われ、語り継がれている、民族の父祖マスナー族の旗の色とされる。

ところで、ウィキペディアには、<円の中で2組の3本線を交差させたシンボルは、キルギス人など遊牧民の伝統的なテント式家屋(キルギスではユルトと呼ぶ)の頂部にある構造 tunduk (キルギス語: түндүк)を表したもので、祖国や宇宙を象徴する>とあります。これは前後から察するに、英文のWikipediaをそのまま翻訳したものです。

『世界第百科事典』には、「yurtはもともと〈放棄された野営地〉を意味していたが,のち〈住む場所〉〈土地〉〈フェルト製テント〉などの意味に使われるようになった。ユルトというのが原音に近い。トルコ系遊牧民のなかでは,オエイ,ウイ系の言葉がフェルト製テントに対して用いられることが多い。円形のプランと蛇腹式になったヤナギ材の側壁に支えられた天蓋,羊毛製などの組紐で緊縛したフェルト地など,構造的にはモンゴル族のゲルと変わらない。ゲルと比較したユルタの特徴は,天蓋部がやや丸みを帯びている点である」とあるのですが、何はともあれ、私がどこから「オエイ」という言葉を引いたのか記憶が判然としませんので、少し調べてみます。不確実でもうしわけありません。それまで、当面、オエイ云々を削除させていただきます。

ご親切に、衷心より御礼申し上げます。

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