イギリスとスペインの領土紛争② 「ヘラクレスの柱」を熱望するスペイン

ヘラクレス(希=ヘーラクレース、英=ハーキュリーズ) は、ギリシア神話に登場する半神半人の英雄。体力も剛腕も最大級です。ゼウスの子。古代ギリシア各地で神として祀られ、古代ローマでも盛んに信仰されました。不滅の弓矢や棍棒といった武器を持っていたり、獅子の毛皮を羽織ったりした姿て描かれています。

ヘラクレスが怪力を以てヨーロッパとアフリカの間に海峡を拓いたという神話があるのです。その際、ヨーロッパ側の南端がジブラルタルで、そこに1本の「ヘラクレスの柱」というべき岩があり、アフリカ側の柱は、セウタのモンテアチョ(Monte Hacho)とも、モロッコのヘベルムサ山(Jebel Musa)であるとも言われています。

もう少し詳しく言いますと、こういうことです。

ギリシャ神話によると、ヘラクレスに課せられた「12の功業」というのがあります。その1つに、スペインの「ゲーリュオンの牛を連れ帰る」という仕事がありました。エウリュステウス王(ミュケーナイ及びティーリュンスの王)が自らに仕えたヘラクレスに課した仕事です。そこでヘラクレスは道具を使いつつ怪力で、山を真っ二つにし、大西洋と地中海がジブラルタルで海峡を繋げました。これによって山を登る代わりに、ジブラルタル海峡という近道が出来、その南北端に「ヘラクレスの柱」という岩山が出来たとされています。


息子を抱くヘラクレス

ところで、スペイン国旗は「血と金の旗」と呼ばれ、「国土を血で守る」という強い決意を示しています。中世の長い間、イスラム勢力の支配下に置かれ、その後も常に「南」、すなわちアフリカ大陸を渡って来襲するイスラム勢力の脅威にさらされてきた国の旗として、国旗に込められたこの強い意志には怖いくらいのものを感じます。

1474年、カスティーリャ王国のイサベル女王(1451~1504)が夫であるアラゴン=カタルーニャ王国のフェルナンド2世と同君連合の形でカスティリャ=アラゴン王国、すなわちイスパ-ニャ(スペイン)を統一しました。

1492年1月2日、カトリック勢力の最前線にあるスペインは、最後まで残ったイスラム勢力であるムーア人のナスル朝が立てこもるグラナダを陥落させ、国土を統一、800年に及ぶレコンキスタ(国土回復運動)は完結したのでした。


1492年、グラナダを陥落させ、レコンキスタを完結させたイサベル(右手前の馬上)

そして、これを記念した事業として、同年8月2日、クリストファー・コロンブス(1945頃~1506)は、縦長で白地に赤い十字架と「I」「F」で女王と王のイニシャルを描いた旗を立て、スペインのパロス港(同国南部セルビア西、大西洋に臨む港)を出航、大西洋を西に向かったのでした。イサベルな熱心なカトリック教徒であり、コロンブスへの最大の支援者でした。


イザベル1世とコロンブス。
カリフォルニア州議事堂

しかし、15世紀から16世紀にかけての約100年間が、いうならばスペインの全盛期、イサベル没後300年の、18世紀冒頭のスペイン王位継承戦争を決着させたユトレヒト条約(1713年)の締結により、ジブラルタルをイギリスに奪われ、爾来、この地は英国の「海外領土」(事実上の植民地)となっています。


スペインの国旗

スペインの紋章

これに対し、スペインはこのジブラルタルを自国領と主張し、国旗にもその「ヘラクレスの柱」を描き、イギリスとの領土問題として続いているのです。イギリスが欧州の一員としてEUに加盟した頃、すなわち、1980年代後期から両国の共同統治など、その基本的ありかたについて、さまざまな提案がなされましたが、ジブラルタルでの住民投票によって共同統治案は否決されました。

ジブラルタルの旗は、スペイン王国成立時、その主要な1つであったカスティーリャ王国女王イサベル1世が1502年7月10日にジブラルタルに贈った紋章に由来しています。この旗自体は1982年に制定されたものですが、スペインを必要以上に刺激しないようにという配慮から、「ユニオン・ジャック」を用いていないという大きな特徴があります。

国旗に描かれている城はジブラルタルの要塞を表し、鍵は、その要塞の軍事的な重要性を象徴しているといえましょう。


ジブラルタル海峡に面した「ザ・ロック」の上にはためくジブラルタルの旗。
ウィキペディアより。

この旗は「ユニオン・ジャック」やEU旗とともに掲揚されており,南に大きく突き出た半島の突端にある岩山「ザ・ロック」(ジブラルタル岩)の頂上に掲げられている旗(写真)が知られています。

(つづく)

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