ザンビア独立50周年、東京五輪の「縁」 記念式典

東京五輪閉会式があった1964年10月24日に独立したアフリカ南部ザンビアの独立50周年の記念式典が24日、港区内であった。

当時、ザンビア選手団の通訳を務めた大和保之(やまとやすゆき)さん(70)=埼玉県志木市=が、祝賀の挨拶に立った。半世紀を経た東京で再び「万歳」の声が響いた。

この日、大和さんはブレザーの胸に、日の丸と五輪があしらわれた東京五輪のエンブレムをつけた。 当時、20歳で横浜国立大3年生。英語力を買われて英保護領北ローデシア選手団の通訳を任された。

閉会式の朝、選手らは宿舎前で新しいザンビアの国旗を掲げた。英語で万歳三唱を意味する「Hip Hip Hooray(ヒップ、ヒップ、フーレイ)」と喜びを表した。

五輪期間中に国名が変わり、開会式と閉会式で別の国旗を掲げた珍しい例となった。「閉会式では、国旗の行くところ、大きな拍手がわき起こりました」 大学卒業後、銀行マンとして海外勤務を経験した。2020年東京五輪に向けた願いを語った。「またザンビアの通訳の仕事をしたい」。それまでに、英語力に磨きをかけるつもりだ。

記念式典には、外務省でアフリカ担当の小林弘裕大使や経済人ら約250人が出席した。在日ザンビア大使館のチベサクンダ大使は「記念すべき日をここ東京で祝えることは大きな誇り。長年にわたるザンビアと日本の関係の新たな始まりだ」と語った。 そして出席者が声をそろえた。「ビバ(万歳の意味)・ザンビア、ビバ・ジャパン」(朝日新聞渡辺丘記者の記事)


東京オリンピック閉会式の日に、この日独立した国旗をもって入場するザンビアの旗手

1964年10月24日午前6時に、新ザンビア国旗を選手村に届けたのは、私(吹浦忠正)でした。当時、組織委の国旗担当専門職員でした。関連記事は朝日新聞9月3日付「オピニオン」欄(大久保真紀記者との対話)をご参照ください。

難民を助ける会がザンビアに1985年から拠点を置いているのも、1つはこのご縁です。この年の2月に安倍晋三外相(当時)が日本の外相として初のサブサハラの国を訪問したとき、縁あって私が随行。

夜4時間半も、田村大使と3人で酒を飲み、外相から「大統領との明日の会談でなにか話題にするような具体的な話はないか」と質問され、難民を助ける会と内務省の契約が数ヵ月滞っており困っているとお伝えしました。

翌日、カウンダ大統領に同外相から話してもらって契約は2日後に締結となりました。

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