4月22日に施行された改定「大使館設置法」により、これまでグルジア共和国と呼んでいた国をジョージア共和国と呼ぶことになった。黒海東部に接し、南カフカズ地方にある。
日本での同様の呼称変更は、ミャンマー(旧ビルマ)、コートジボアール(旧象牙海岸)、スリランカ(旧セイロン)などの先例がある。ジョージアの人口は430万ほど。何度か訪れたことがあるが、長寿と美人で有名なのは納得だ。
名前の終わりが「ナゼ」「シビリ」という人はたいていがジョージア人といっていい。出身者の有名人はソ連の独裁者だったスターリンとソ連時代に外務大臣を務め、その後ジョージアの大統領になったシェワルナゼ。
毎日新聞(4月23日付)によれば、駐日ジョージア大使館もこの日、新しい看板に付け替えたという。ジョージアは旧ソ連の一国だが、両国関係は悪く、2008年の北京五輪直後には戦火を交えてグルジアが圧倒された。グルジアは50回征服されたと聴いていたが、これで51回になったのか。
グルジア語について、35年ほど前に首都トビリシで兄弟の矢野暢教授と少し調べたことがあるが、まるで見当つかなかった。最近、バスク語(スペイン東北部)に近いとグルジア人女性(もちろん美人!)から聞いたが、確認できていない。
ジョージアのツィンツァゼ駐日大使は22日、日本記者クラブで「(名称を変えた)安倍晋三首相の決定を高く評価したい」とあいさつした。日本の外務省も公式サイトの表記も変わった。日本語で日本のことを日本と言うように、ジョージアではジョージアのことを「サカルトベロ」と呼ぶ。しかし、これでは世界中、ほとんどの人が何のことか解らない。ちなみに「NIPPON」はかなり普及している。
1912年、日本が初めて参加したストクホルム五輪では、スエーデンの組織委がJAPANのプラカードを用意したにかかわらず、マラソンの金栗四三が強硬に反対、結局、NIPPONと表記し、JAPANの順番の位置で行進した。(詳細は、週刊新潮に連載中の拙稿で来年秋頃掲載予定)
そこで、ジョージアでは1991年に旧ソ連から独立後、国連に自国名を登録する際、英語呼称のジョージアで登録した。グルジアはロシア語での表記・発音。日本でのほかは旧ソ連諸国など20カ国弱がグルジアと呼んできた。
都内にある米国南部ジョージア州の商務代表部は「同名になることで、混同されるかもしれない」と懸念すると毎日新聞は書いている。
日本でジョージアといえば缶コーヒー。また、ジョージアはワインの特産地として知られるが、経済関係を断っているモスクワではなかなか入手できない。日本では御殿場の特約店で入手できる。スターリンが愛飲したのはグルジア産の赤ワイン「キンズマラウリ」。「繊細な香りとデリケートな酸味とのバランスがすばらしい赤やや甘口。マニア必見の逸品。」とは、同店のHP。私はには「甘すぎる」という印象だ。
毎日新聞によれば、<最近、日本記者クラブで会見したレバン・ツィンツァゼ駐日大使は、国の呼称について「ギリシャ人が『多くの農民がいる』との意味でこの地域をギリシャ語でゲオルギアと呼んだというのが有力説で、当時から農業に恵まれた土地でした」と述べた>とのことだ。