きょう、2015年5月16日付の朝日新聞夕刊に、51年前のオリンピック組織委で国旗の検査をしている写真が出ている。木下、出口、村瀬の3嬢と私(頭のみ)が映っている。
前田記者が先日、拙宅にお越しくださり、長時間取材されたことがムダなく記事になっている。
但し、最後の部分、はたして2020の東京オリンピックでエクスランを推薦できるかについては、実は私は苦慮している。積水化学が開発したエスロンのようなポリエステル系がこの半世紀で旗布としてはずいぶん完成されていること、縫製工が極端に不足しており、50年前のようにエクスランの原反縫い合わせで三色旗など多くを製作できるとは考えにくいことなどが理由だ。
繊維メーカー、旗屋、染物屋のみなさんの知恵と力を結集してオール日本体制を構築しないと、オリンピックで使う国旗を、アメリカなど外国に発注しなくてはできないのではというのは、あながち杞憂ではない事態である。
そのことは3日前にも今度の組織委の幹部や担当部長に申し入れしてきたが、少しは解ってくれただろうかと、正直、心配している。
私自身は、近く「オリンピックを機に世界の国旗を学ぶ会」を立ち上げるべく、文科省、外務省などのOB、学者などと語らっている。近く発表したい。
朝日新聞の記事は以下の通り。
競技場や選手村を彩る国旗。五輪に欠かせないものの一つだが、掲揚に細心の注意が必要なのは、ご存じだろうか。
東京五輪の開幕まで1カ月あまりに迫った1964年9月初め、朝日新聞にこんな見出しの記事が載った。「間違ったら大変 気苦労な国旗係」。例えば、フィリピンでは上下を間違って掲げると「交戦状態」を意味する。政情不安定な国が多く、国旗のデザインが変わることも珍しくなかった。
写真は、赤坂離宮(現・迎賓館)の一室に広げられた国旗の見本だ。大会組織委は見本を各国のオリンピック委員会に航空便で送り、承認を求めた。逆さまの掲揚を防ぐために、留め金を工夫。掲揚係の自衛隊やボーイスカウトにはパンフレットを配り、入念に確認した。
大会期間中に色あせたり、破れたりしたら一大事。素材選びも難航し、有名アスリートが所属企業の製品を売り込むケースもあったという。「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた競泳の古橋広之進は、大同毛織(現ダイドーリミテッド)のウールを、東京五輪の選手団主将を務めた体操の小野喬(たかし)は、東レのナイロンを組織委に持ち込んだ。
最終的には、それぞれの素材を国立競技場に15日間、掲揚し続ける耐用実験で決めた。9日目にウールがほつれ、11日目にナイロンの色が落ちた。残ったのは、東洋紡の「エクスラン」と呼ばれるアクリル繊維。富士山頂での耐光試験などで磨かれた技術の結晶だった。エクスランは72年札幌、98年長野の両冬季五輪でも使われた。5年後の東京五輪でも採用されることを目指しているという。(前田大輔)