今から150年前のニューヨーク、1860(万延元)年の6月16日。日本から初めての遣米使節団(正使=新見豊前守正興)が来るということで、街中が湧き立っていました。1953年にペリー提督率いる黒船が来航、翌年締結された日米和親条約の批准書の交換のため、江戸幕府が派遣した万延元年遣米使節団がニューヨークに到着したのです。
2010年、この訪問の150周年を記念して、ニューヨーク市立博物館で、特別写真展が10月まで開かれました。使節団が宿泊したのは、Metropolitan Hotel、当時はブロードウェイーとプリンス・ストリートにあったとありますが、今は、この写真にあるような建物は存在していないようです。よく写真を見ると「日の丸」と「星条旗」が全ての窓から掲揚されています。
当時のニューヨークは、それまでの4年間で人口が4倍の約80万人に膨れ上がるという急性長期にありました。しかも、その半数40万人は移民でした。こうした人々のエネルギーによってニューヨークはロンドンと並ぶ世界の商業・交易の中心としての地位に向かっていました。そうした中で、未知の国・日本からの使節団に対し異常なまでの関心と歓迎をしたようです。「星条旗」を掲げ、「日の丸」で大歓迎することが、新興アメリカのナショナリズムの昂揚に確実に寄与したのではなかったでしょうか。
同時に、ペリー来日の時には定まっていなかった日本の国旗を掲げ、大変な苦労を重ねて広大な太平洋を渡り、滞在中には、パレードが2回、公式なパーティが3回開かれるなど、街を挙げての大歓迎を受けました。祭り騒ぎで、このためにかかった費用は8万2千ドルだったと記録されています。
当時の4部屋のアパートの家賃がわずか月4.45ドルだったそうですから、8万2千ドルなどという費用は、今なら事業仕分けにあってしまうかなとさえ思いますが、両国の友好・協力の基点として、これは決して無駄な費用ではなかったと確信します。