1991年までのソ連時代の国旗
今の学生は、(まともに?入学していたら)みな平成生まれです。と言うことは「冷戦」は知らないし、「ソ連の崩壊」も「昔のことね」でおしまい。中には、「ソ連ってなぁに?」という人さえいるのです。
無理はありません。私の世代に「ガダルカナルからの転進」とか「八紘一宇」について訊くようなものですから。
念のために書きますと、「ソ連」は、「ソビエト社会主義共和国連邦」の略です。面積は日本の60倍(今のロシアは45倍)という広大な国でした。かつてはオリンピックを始め、各種の世界選手権などで「CCCP(<ソ連>という国名のロシア語による略号、セ・セ・セ・エルと読む)」のユニフォームは世界を席巻していました。中学生だった私ことタディは、いつのまにかソ連国歌を諳んじてしまうほど、何度も表彰式でこの国歌を聴いていました。高校時代にはガガーリンが人類初の宇宙旅行をし、大学時代には本人が早稲田で講演するということがありましたので、最前列で聴きました。クラスメイトも概ね「憧れの国(の1つが)ソ連」でしたし、横浜発バイカル号でのモスクワ経由によるヨーロッパ旅行は若者たちの夢でした。
ちなみに、今のロシアの国歌は、紆余曲折はありましたが、プーチン大統領(当時)の一声で、1944年に制定されたソ連時代のメロディー(アレクサンドル・アレクサンドロフ作曲)が復活したものです。2001年の元旦からのことです。歌詞もまた、ソ連国歌の作詞者であるセルゲイ・ミハルコフがメロディーに合わせて新たに作詞したものなのです。
実は、1990年代に脱ソ連化を推し進めていたボリス・エリツィン大統領(当時)によりミハイル・グリンカ作曲の「愛国歌」を暫定国歌として定めていたのですが、経済が未曾有の混乱を続け、貧窮のさなかに陥っていたためもあり、この歌詞のない暫定国歌は定着せず、多くの人にとって「今では思い出したくもないという時代と歌」になってしまっています。
ロシアの国家院(ドゥーマ)では、ジュガーノフ率いる共産党は、当時も今も一定の勢力と影響力を保持しています。国民の中に潜在している大国ロシアへの郷愁と誇りを呼び起こすことが出来るとして、ソ共産党がソ連国歌の復活を提案、エリツィン大統領と対立していました。
エリツィンに代わって大統領となったウラジーミル・プーチンは、共産党への懐柔策と「強いロシア」を夢見ている国民の「夢よ もう一度」の期待に迎合して、このいかにも大国の国歌らしい荘重なメロディーの国歌の復活を図りました。そしてこの復活は多くの国民に大歓迎されたのです。いまでも、テレビやラジオの放送では毎日二回、この国歌を放送することが義務付けられています。
ただ、こうした経過は諸外国、とりわけ旧ソ連構成国には「ソ連復活を企図か」という「悪夢」を呼び起こし、「冷戦時代の再来」という印象さえ振りまいたのでした。それでも、原油の高騰と天然ガスの輸出でロシア経済が発展し、人々が自信を取り戻しつつあったこともあり、この曲は定着したと言っていいでしょう。
ちなみに、国歌のメロディーはそのままにして歌詞だけ変えたのはロシアですが、お隣りの韓国はその逆をやっています。韓国の国歌は、かつて「蛍の光」のメロディーだったのですが、独立後、安益泰が作曲しなおしたものです。
ところで、ロシアの国旗は白青赤の横三色旗。ロシア発展の礎を築いたピョートル大帝がオランダの国旗を真似て(パクって?)制定したものですが、1991年12月25日、ソ連崩壊の日にクレムリンの大会議場上の掲揚塔でそれまでの「鎌と鎚のついた赤旗」にとって代わりました。
その日のことは、よく覚えています。「北方4島の返還を実現し平和条約を締結しよう」と努めて1973年以来、日ソ専門家会議というハイレベルの民間交流を続けるなどして、それまでに何十回も訪問している国が、かくも脆くも崩壊するとは、正直に告白しますが、直前まで信じられませんでした。
ですから、この国と国旗の変更は、冷戦の完全な「終戦」を印象付け、国旗が変わるというのはこういうことなのだという実感を持った瞬間でした。