コーラン焼却事件


シャハーダを大きく書いたサウジアラビアの国旗

アフガニスタンで聖典『コーラン』が米兵によって焼却されたことが大きな騒ぎに発展しています。


「コーラン」焼却に抗議して、アメリカの「星条旗」を燃やすアフガニスタンの人たち。
2月26日の産経新聞より。

ご承知のように、イスラム教徒にとって『コーラン』は、アッラー(神)が預言者ムハンマド(モハメット)をして現世に対して伝えさせた言葉そのものです。そしてアフガニスタンの国旗は中央の紋章にその『コーラン』冒頭のシャハーダ(信仰告白)「アッラーのほかに神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒」と書き、モスク(イスラム寺院)が描かれ、それらを麦の穂と剣で囲んでいるものです。

アフガニスタンの国旗は、これまでに何度も変更されてきました。現在の旗はアフガニスタン・イスラム移行国(2002~2004年)によって2004年1月4日制定されたものです。このデザインはかつてアフガニスタン王国時代の1930年から73年までの国旗とそっくりで、紋章の上にそのシャハーダを付け加え、イスラム色をさらに強めたものといえましょう。

焼却事件は、2012年2月20日夜、アフガンスタンの首都カブール北東のバグラム米空軍基地内で発生しました。理由は明らかではありませんが、複数の米兵がイスラムに関する書籍を燃やしていたところ、これにアフガン人職員が気付いたというのが発端でした。これが世間に伝わると、翌日から各地で抗議デモが起き、事件は大きく拡大してゆきました。駐留米軍側は「誤って焼却した」と釈明し、事件を巡って、パネッタ米国防長官、カーター国防副長官、オバマ氏らが、23日までにアフガン政府に相次いで謝罪を表明しました。事の重大際にオバマ大統領は謝罪し、カルダイ大統領に詫び状を送るなど、真剣に対応に取り組んでいるようですが、抗議行動はいっこうに沈静化していないようです。

抗議デモは、その後も各地で続き、市民の怒りは収まりそうにない様子です。2月27日までの1週間の抗議デモに関わる死者は約30人、これには射殺された国際治安支援部隊(ISAF)米士官2名と兵2名が含まれています。士官二人は内務省内でいきなり射殺されたのでした。負傷者は約200人にも上るそうです。デモは隣国パキスタンにも拡大しました。

このため英仏独の3カ国などは自国出身の顧問らを公的な場に立ち入らせないようにしたり、隣国に一時撤収させるなどしました。抗議デモは26日も続き、アフガン北部クンドゥズで、デモ参加者が手榴弾を投げ、米軍関係者7人が負傷しました。

『コーラン』の焼却は、昨年3月にも米フロリダ州のキリスト教会であり、アフガン各地で米国への抗議デモを引き起こしました。アフガニスタンでは、とかくイスラムの指導者が信仰心を傷つけられた市民に対し、反米感情をあおる傾向があり、これまでも同様の問題はたびたび大規模な反米デモに発展してきたという報道もあります。

現地は15年ぶりとされる厳冬に見舞われ、各地の生活は積雪などでマヒ状態に陥り、物価の上昇など社会的な不満も鬱積しており、この事件で市民の怒りが一気に噴き出した形です。

米国のオバマ政権はアフガニスタンでの戦闘任務を13年末までに終了し、アフガン治安当局の能力を向上させた上で14年末の撤退を目指す方針ですが、たび重なる問題の発生で両国の信頼関係は揺らいでおり、スムーズな治安権限の移行には不透明感が漂い始めています。

以前は全土を支配し、今は反政府組織となって根強い抵抗を示しているタリバーンは、これまで米政府とは和平交渉に向けた水面下の協議を続けてきましたが、デモ発生後には『コーラン』焼却への報復として、駐留外国軍を攻撃するよう国民らに呼び掛けており、デモの混乱に乗じて勢力拡大を狙う構えです。

タリバーンが全土を支配していた時の国旗は、白一色でした。今回の各地のデモでは、参加者がタリバーンのシンボルの白い旗を手にする光景が見られるという報道は不気味です。

国旗に十字架が出てくるのはいろいろありますが、キリスト教の『聖書』を描いたドミニカ共和国の国旗だけです。他方、イスラム諸国ではこのアフガニスタンの国旗とサウジアラビアの国旗にはシャハーダが書かれています。残念なことですが、キリスト教諸国に限らず、イスラムに対する理解の不足な人は世界中にいて、たびたび重大なトラブルが発生することになります。

近年起こった主なトラブルを思い出してみましょう。

1989年、イギリス国籍のインド人サルマン・ラシュデ氏が反イスラーム的とされる『悪魔の詩』を刊行しました。ムハンマドを思わせる人物が妻や娘など家族に売春をさせるなど破廉恥なことをするという内容を含んでいるものです。この本は世界中のイスラム教徒の激しい怒りを買い、ラシュデ氏は直ちに身を隠し、今に続いています。しかし、この本は日本語でも出版され、91年7月11日、翻訳者である五十嵐一(ひとし)筑波大学助教授(当時)が大学の構内でナイフによって惨殺されました。五十嵐助教授自身は「イスラームこそ元来は、もっともっと大きくて健康的な宗教ではなかったか」と『中央公論』(1990年4月号)に書き、「私はなぜ『悪魔の詩』を訳したか」を信念を持って語っていたそうです。中東・イスラムの研究者で大きな業績を持つ人だけに気の毒でなりません。欧米や日本では通常、憲法で保障する言論・出版の自由の範囲内でしょうが、これは価値観の違いで、この本を日本語に訳して出版するということは、イスラムを信奉する人たちにとっては到底許しがたいものだったに違いありません。

1979年のイラン革命で主役を務めたホメイニ師はラディシュ氏に「死刑」とする宗教命令「ファトワ」を出しました。しかし、五十嵐助教授は「ホメイニ師の死刑宣告は勇み足であった」と中央公論で断じています。98年、イランのハラジ外相が英国のクック外相に対し、政府としてファトワを実行する遺志はないと確約し、政治的には収まっているというのが現状です。

97年夏には、大手スポーツ用品メーカーのNikeが、どうしたことか、アラビア文字の「アッラー」に酷似したロゴを運動靴に付けてしまい、全製品のボイコットが各地で行われる事態となり、Nikeはすぐ謝罪し、全商品の回収にあたり、米国にあるイスラムの小学校に運動場を寄付して、ことなきを得たということもありました。

日本でも悲しい出来事がありました。
2001年5月には富山県のある町でパキスタン人の経営になる中古車販売店に『コーラン』が破り投げ捨てられるということがありました。これを知った在日イスラム教徒たちは全国から富山県警や外務省に押しかけ、自分たち全体への侮辱だとして、実行者の割り出し、謝罪を求めました。

近代宗教は他に対する寛容が重要とはいえ、年末年始のわずか10日間の内に、クリスマス、除夜の鐘、初詣でと多くの人がはしゃぐ(?)国というのは世界でもおそらく日本だけではないかと思っておくほうが無難です。『コーラン』を焼き捨てた米兵のお粗末さを笑う前に、私たちはもう少し、異文化への理解と尊敬・尊重の念を養っておいたほうがいいという思いがします。

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