幕末の国旗研究⑦ – 岩瀬文庫は幕末国旗研究書の宝庫(中)

長崎に出向いて確認

付箋を付けてどこで図柄の情報を確認したかをかなり細かく書いているのも特徴です。もっともこれは著者が書いたものなのか、これを所持して使用していた人のものか必ずしもはっきりしていません。「ロシア始ノ四圖ハ寛政五癸丑(みずのとうし。1793年… 吹浦注、以下同じ)正月松前江渡来舶旗也」とか、「中ノ四圖ハ文化元甲子(きのえね)年(1804年)長崎ヘ渡来舶旗、同四丁卯(ひのとう)年(1807年)四月、長崎ヘ渡来同旗ナリ」といった書き方です。

1793年はラクスマンが、1804年は同じくレザノフが通商を求めてやって来た年です。双頭の鷲の旗をここで確認したということです。

同様に、イギリス国旗についても「此三圖は文化五戊辰(つちのえたつ)年(1808年)8月長崎ヘ渡来舶旗、同十三丙子(ひのえね)年(1816年)7月西海へ漂流、弘化二乙巳(きのとみ)年(1845年)7月、伊王島辺漂流各同旗なり」となっています。「ユニオン・ジャック」も鎖国下の日本にはまだ全く馴染の薄かったのがこのしつこいほどの確認の付箋ににじんでいるようです。

当時の英国旗はイングランドの聖ジョージ旗(白地赤十字)とスコットランドの聖アンドリューの旗(青地に白の斜十字)に、1801年のアイルランド併合で聖パトリックの旗(白地に赤の斜十字)が合わさって今と同じ旗になっていたはずですが、日本周辺に来ていた英国旗は聖パトリックの十字を無視していたのかも知れません。『萬國國旗圖及檣號圖』の英国旗は3つの旗(ジャック)が統合(ユニオン)した図(但し、聖パトリックの十字を左周りにずらして聖アンドリューの十字を生かすという正しい描き方ではない)になっています。これはおそらく略図が伝わったのを画いたものだったからなのでしょう。

幕末の国旗本の相次ぐ刊行は今から振り返っても感嘆してしまいます。

蘭学の基礎と長崎での実見からか

『萬國旗印』と同じ弘化3年の7月に『外蕃旗譜』も刊行されていることを、安津教授は『国旗の歴史』で紹介している。それによると1836年にオランダ人<般美伊児(ハンビーニ)>(ファン・ビーニ?)によって発行された『坤輿(こんよ)國(世界の国々… 吹浦注)』の付録を後に蕃書調所教授となった蘭学者・箕作阮甫が翻訳し、「さらに調査した資料も加え、各国の国旗、商船旗、大公使館旗、測量旗など81種類の旗が色彩図で描かれている」ものとのこと。同書の序文には原書は欧米のことには詳しいのですが「そのほかの国々については粗略です。そこで近頃出版の国旗に関する書物数冊と比較対照しながら、そのよいところを採用し、欠点を補って刊行したもの」だということです。そして、各国の国旗には「①国の理念などをシンボライズした旗、②国の名産物などを表した旗、③建国の由来など誇るに足る事実を表した旗」に分類できるとしているのだそうです。
残念なことに私はまだこの『外蕃旗譜』に直接触れることができないでいます。

『萬國旗鑑』は縦7センチ横13センチの横開きの手帳程度の大きさの木版カラー印刷です。私が始めてこの本に接したのは30年ほど前、早稲田大学の図書館ででした。同じものが東京国立博物館と岩瀬文庫にもあります。

弘化3年の「季秋刊行」したものを「再雕成」したとあります。オリジナル版の木版を、ペリーが浦賀に、プチャーチンが長崎に来る前年の嘉永5(1852)年に全面的に彫り直したということです。早稲田大学には2冊あり、ペリーが来た嘉永6年のものと、再来航し、日米和親条約が締結された翌7年のものです。幕府は続けてロシア、イギリスなどとも同様の条約を結び、「日の丸」を日本国総船印とした年でもあるのです。『萬國旗鑑』の説明部分の一部を紹介しましょう。

萬國ノ幖旗我邦ニ昭明ナルマデ数十年、当時旧図ノ誤ヲ正シ五十余図ヲ出ズトイエドモ諸蛮ノ旗改変スルモノアレバ近来マタ補習スル者アリテイヨイヨ詳ナルコトヲ得タリ。今海浜ノ国ニ限ラズ常ニ此書ヲ懐ニシ時ニ望ンデ其商舶ト軍艦トヲ弁知セバ、海防ノ益少ナカラズ。惣ジテ異国ノ例入港ノ時大炮ヲ●(一字不明=吹浦)シ、然シテ旗ヲ立テルニ十字ヲカキタルハ軍艦ニ非ラズトイフ印ナリ。其外今日ハ何々ノ日トテ種々ノ旗ヲ立テルガ習ヒトゾ事ハ西洋家ニ就テ就習スベキナリ。

つまり、鎖国下の日本ではあっても、外国旗については識者の手でいろいろ研究されており、何種類かのかなり専門的な出版物があったということになります。しかも それらの国旗は時には変更されるものであること、商船と軍艦では使用する国旗のデザインが違うこと、各国別に祝日が決まっていてどの旗をいつ立てるかなどは「西洋家」なる専門家に聞け、ということです。

率直にいって、この『萬國旗鑑』もまた、とてもペリー来航以前のものとは信じられないほどのしっかりした内容です。

同書は「諳厄利亜(あんぐりあ、イギリス)」の「ユニオン・ジャック」など15種類の旗を先頭に、以下、実際の国名は漢字表記でルビつきだが、ルビだけで並べるとシカシア(スコットランド)、イベリニア(アイルランド)、オランダ、イスパニア(スペイン)、ポルトガル、イタリア、フランス、テー子(ネ)マルカ(デンマーク)、スウェシア(スウェーデン)、ホローニア(ポーランド)、ヒルマニア(ドイツ)、ムスコーヴィア(ロシア)、トルコ、アジア諸国、増補と続き、計286旗が紹介されている。増補の中にはアメリカの「星条旗」も出ています。

これまた断然詳しいのはオランダの国旗についてで、国王旗、商船旗、軍艦旗等々24種類が載っている。英国国王旗の紋章についてはこの時代の他の書にないほど詳しく正確で、アイルランドのハープの紋章もそれらしく描かれている。ただ、フランス三色旗がないこと、「星条旗」の紅白の条が十本しかないとか、星は八稜星でしかも8個しかない、といった気になる点もあります。

おそらくは手帳のような同書を手に持った幕府の役人が緊張に身を震わしながらペリーの艦隊でも見に行ったのではないでしょうか。

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