アラブ・イスラムの国旗の緑のお話をしようと思います。でも、まずはちょっと横路から。
緑と言う色は幼少時から私が一番好きな色でした。母親は、愛情たっぷりの人で、いま思えば「教育ママ」のハシリのような人だったかもしれません。日米開戦となったとき、物資不足の時代にあって、わら半紙2,000枚と画用紙数100枚を買占めたのです。もちろん、心から感謝していますが…。
つまり、生まれたばかりのタディに画才の天分があると期待か誤解をしてしまったのでしょうか。そこで、物心ついてすぐ、井上猛夫先生という秋田の画家のもとに通わされました。しかし、「ご幼少の砌」のタディは奇人変人の類だったのでしょうか。緑のクレヨンばかりを多用するという子で、さすがに井上先生、この子は別の道にと、やんわり破門してくれたようです。
それでも「緑好き」は長く続きました。小学校4年生のときでした。「北欧の国旗はなぜ十字架の同じようなデザインなのか」「そこにはなぜ緑がないのか」と発したのが、国旗についての最初の疑問だったのです。そしてその次が「どうして、北欧にかぎらず、ヨーローパやアメリカの国旗には緑が少ないのかな」でした。実際、イタリア、ハンガリー、ブルガリア、ポルトガル、メキシコ、ブラジル、ボリビアの国旗くらいのものです。
長じて、なぜ、「東アジアや東南アジアの国旗には緑がないのかな。なぜ、赤が多いのかな?」となりました。
今、世界を見回しつつ、各国旗を想起しますと、逆に、中東、アフリカの国旗には軒並み緑が登場していることがよく分かります。私の大好きな緑はシスラム圏とアフリカ大陸には充満しているのです。
しかし、現実には中東に緑は渇望するほど少なく、アフリカもコンゴやガボンなど、一部の地域をジャングルを除けば、多くはサバンナ気候。決して緑に恵まれているわけではないのです。いつぞやイランからイスラエルに飛んだとき、隣の席のユダヤ人に「どこからイスラエルか」と尋ねたところ、「緑のあるところからわが国よ」と胸を張って答えが返ってきました。いすらえるの国旗には緑がなく、周囲の国旗には全部、緑が入っています。
逆に、東・東南アジアは自然の緑に恵まれていますが、国旗には緑が登場しません。
それはそうと、日本のことを考えてみましょう。
あらたふと青葉若葉の日の光(芭蕉)
目には青葉、山ほととぎす、初鰹(山口素堂)
先人たちも、緑は大好きだったようですね。素堂の句など季語が3つも入っていますが、それでもなんとなくいいじゃないですか。
ぐっと下って、
萬緑の中や吾子の歯生え初むる(中村草田男)
こういうのも、温かくて嬉しい句ですね。
島崎藤村の「千曲川旅情の歌」にも緑は効果的に登場します。
小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も藉くによしなし
しろがねの衾の岡邊
日に溶けて淡雪流るあたゝかき光はあれど
野に滿つる香も知らず
淺くのみ春は霞みて
麥の色わづかに青し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ暮れ行けば淺間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飮みて
草枕しばし慰む
まだかろうじて、麦の色だけが「わづかに青」い今頃の季節でしょうか。この詩には緑の幸せと緑への憧れがあるように思えるのですが、いかがでしょうか。
国旗で緑と言えば、ついこの間までのリビアの国旗。リビアは1977年に強く連帯し、エジプトと同じ国旗を使っていました。しかし、エジプトのサダト大統領が突然、仇敵イスラエルを訪問したことに激怒し、一夜にして、緑一色の旗に変えてしまったのでした。昨年、「アラブの春」の騒乱が続く中で、10月20日、殺害され、リビアの国旗は独立から王政時代まで(1951~69)の緑白赤黒の4色に三日月と星という国旗に戻りました。
それでも緑が入っているのです。どうやら、緑は日本の俳人や詩人だけが好み詠う色ではなさそうです。イスラムと緑の関係を次回はもう少し詳しく見てみましょう。
ところで、あなたは緑派ですか?
ほかのクレヨンもうまく使っていましたか?
緑は心休まる色ですよね。