隣国同士の戦争と平和


ハイチの国旗と国章

ドミニカ共和国の国旗と国章

3月11日は東日本大震災からちょうど1年目の日でした。私も謹んで哀悼の意を表し、復興の1日も早いことを祈りました。

しかし、大震災は地球のあちらこちらで覆っているのです。2004年12月26日にはインドネシア西部スマトラ島沖で、M9.1という超巨大地震で大きな地震と津波がありました。また、昨年10月23日にはトルコ東部でM7.2の大地震がありました。まずもって、こうした地震により亡くなられた方々に謹んで哀悼の意を表します。

創立以来33年、わが加わっている認定NPO法人難民を助ける会では外国でのこの2つの大震災の場合もそうでしたが、こうした災害で罹災された方々の救援活動に積極的に立ち上がり、トルコでは余震のために宿泊していたホテルが崩壊し、宮崎淳くんが死亡、女性メンバー一人がけがをするという悲しい事故にもあいました。

ここでは一昨年、2010年1月12日16時53分(日本時間=13日6時53分)にハイチで起こったマグニチュード7.0の大地震のことを想起しながら書いています。貧困と政情不安に起因する社会基盤の脆弱さにより、20万人もの死者が出るなど、スマトラ島沖地震(死者22万人以上)に匹敵する深刻な被害となったのです。

旧宗主国のフランスや隣国アメリカ、そして中国が大規模な救援隊を派遣しました。日本からは、日赤医療班の9人がまず出発した。国際赤十字赤新月社連盟の150人の国際救援チームに参加するこの医療班は、隣国ドミニカ共和国から陸路で、ハイチ入りしました。同連盟の会長である畏友・近衞忠煇日赤社長も現地入りをして指揮をしました。近衞氏と私は1972年に誕生したばかりのバングラデシュの離島ハチアで文字通り寝食を共にして、救護活動をした仲であり、ハイチから戻った2月8日、私が主催し、司会をして250人の方にお集まりいただきました。「さすが」と拍手しました。

難民を助ける会も早々に駆けつけ、現在も数名の代表が引き続き滞在して、支援活動を続けています。ここでは至近距離から銃弾を浴びる事件が起こりましたが、幸い一命をとり留めました。

こうした苦心を経て、日本のNGOの救援活動も若い人たちの献身的努力で大きくステップアップしつつあるという思いです。

ハイチの首都ポルトプランス(原意は「王子の港」)の映像を見ていると、およそ地震の対策をしてこなかったということが、建築の素人にもわかります。鉄筋も入っていないし、柱も細くてあまりに弱そうです。世界最貧国の1つであるとはいえ、ほとんど国家が壊滅してしまうような悲惨さをどうしようもなかったのでしょうか。

ハイチはナポレオンが欧州の戦争にかけている隙をついて、主として、フランスに拠って奴隷としてアフリカから連れてこられた人たちが、1804年に独立を達成した、近世世界最初の黒人独立国です。

ですから、コフィ・アナン国連事務総長(当時)は、この地震の6年前の2004年1月、ハイチ共和国の独立200周年に当たりその意義を要旨、次にように指摘したのです。「この記念日が全世界の人々にとって極めて重要であり<奴隷制との闘争とその廃止を記念する国際年 the UN International Year to Commemorate the Struggle against Slavery and its Abolition の最高のスタートとなりました。ハイチの人々が先人たちの精神を思い起こし、現在の政治的な難局を克服していくよう希望します」。

ハイチの国旗は宗主国フランスの三色旗から白人を連想させる白を取り除き、青と赤の2色にした。青が黒人を、赤が黒人と白人の混血でありるムラートを表しています。

被災地のあちらこちらに国旗が掲げられて、被災者の沈みがちな心を奮い立たせようとしていることも映像で分かりました。

ところで、ハイチの国旗、中央の紋章は、いかにも戦闘的です。ローマの解放奴隷に由来する「フリギア帽(自由の帽子)」を載せたダイオウヤシの左右に、大砲、銃剣、太鼓、ラッパ、斧などを描き、下のリボンにはフランス語で「団結は力なり」と書いてあります。

他方、ハイチと隣合わせでエスパニョール島を2分しているドミニカ共和国はもともとはスペイン領でしたが、一度はハイチに併合され、1844年に、そのハイチから分離した国。国旗は、対称的に平和なデザインの紋章です。

ドミニカ共和国の国旗をデザインしたのが、三位一体教会の創始者フアン・パブロ・デュアルテ。聖書と十字架の上に、スペイン語で、「神、統一、自由」とあり、下のリボンには国名が描かれています。この「聖書」は、以前、駐日大使館員だった人に問合せたところ、「ヨハネによる福音書の8-32」のところが開かれているのだそうです。そこにはY la verdad os hará libre (そして真実は汝を自由にするであろう)と書いてあるのだそうです。

国旗のせいではないでしょうが、幸いドミニカ共和国側は天災も人災も少ないようですが、一方のハイチにも、天恵による安寧と発展が訪れることを祈念します。

最後に、あらためて東日本大震災で罹災された地域のみなさまが早急に安寧な生活を取り戻すことができるようお祈りします。

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