植村直己の掲げた国旗①

先日、東京・板橋区にある植村記念財団・植村冒険館を訪問しました。いうまでもなく登山家で冒険家の植村直己(1941~84)の足跡をたどることを主とする展示館です。


植村冒険館のチラシから

チラシの拡大図

1970年、マッキンリー山頂に日本、アメリカの国旗とアラスカ州旗を立てようとしている植村直己。
アラスカ州旗は北極星と北斗七星です。

植村は1970年に北米大陸の最高峰マッキンリー(6,194m)の単独登頂に成功し、これで世界初の5大陸最高峰登頂を達成しました。

植村の主な登山・冒険歴は次の通りです。

1965年4月23日 – ヒマラヤのゴジュンバ・カン(チュ・オユーⅡ、8,201m)登頂
1966年7月25日 – 西ヨーロッパの最高峰モンブラン(4,811m)単独登頂
1966年10月24日 –在タンザニア・アフリカの最高峰キリマンジャロ(5,895m)単独登頂
1968年2月5日 – 在チリ・アルゼンチン国境・南米の最高峰アコンカグア(6,962m)単独登頂
1968年4月20日 – 6月20日 – アマゾン河6,000km単独筏下り
1970年5月11日 – エベレスト(8,848m)登頂。松浦輝男とともに日本人としての初登頂
1970年8月30日 – マッキンリー(世界初の五大陸最高峰登頂成功)
1971年1月1日 -アイガー、マッターホルンと並ぶ欧州三大北壁であるグランド・ジョラス(4,208m)北壁完登。
1971年8月30日~10月20日 – 日本列島3,000kmを徒歩で縦断(南極大陸横断の予備行動)。51日間で達成。
1972年9月4日 – 1973年2月4日 – グリーンランド北端シオラパルク村のエスキモー宅に単身寄宿し共同生活
1973年2月4日 – 4月30日 – グリーンランド3,000km犬ゾリ単独行
1974年12月29日 – 1976年5月8日 – 北極圏12,000km犬ゾリ単独行
1976年7月 – コーカサスの欧亜の境にある欧州最高峰エルブルス(5,642m)に登頂。
1978年4月29日 – 犬ゾリ単独行で北極点到達(単独到達世界初)
1978年8月22日 – 犬ゾリ単独行でグリーンランド縦断成功
1982年8月13日 – 厳冬期アコンカグア第二登達成(共同)

同世代の者として、ある種の憧憬、誇り、共感のようなものを感じながら、報道を見てきました。植村はこうした登山や冒険旅行に際し、「日の丸」とその国の国旗を携行し、目的地点に達するやそれを掲げたのでした。ですから、例えば1970年にマッキンリー山頂に立った時は「日の丸」「星条旗」そしてこの山がある「アラスカ州の旗」を頂上に掲揚しました。


1978年のグリーンランド縦断の時の写真が今年の植村冒険館の年賀状になっています。
「日の丸」の下はグリーンランドを領土とするデンマークの国旗、そしてこの冒険行の支援グループの旗。

1978年、犬ぞりでグリーンランドや北極点を目指した時も、植村は関係諸国の国旗を掲げたのでした。

アラスカ州の州旗は北極星と北斗七星を描いた、中学の理科の試験問題のようなデザインです。


アラスカ州旗。公募により13歳の少年ベニー・ベンソンがデザインしたもの。
1927年5月2日に正式に採択。

マッキンリーは、日本から北極経由で欧州に行くとき、私はいつも飛行機の窓から覗いていました。羽田や成田を夜に立つと、アラスカ上空で朝の時間帯になり、雲海にひときわ突き出た美しい山容を見たものでした。昔は、その直後に乗務員が「北極点通過証明書」なるものを配っていたのでした。

閑話休題。
植村直己は、自らの43歳の誕生日にあたる1984年2月12日、 マッキンリー厳冬期単独登頂という世界初の偉業を達成したのです。

頂上に「日の丸」と「星条旗」を建てましたが、翌日頃、山頂からの下山途中で行方不明となってしまいました。遺体が未発見のため詳細な状況は依然、分からないままです。同年に国民栄誉賞を授与され、その功績が讃えられました。

およそ山登りにはご縁がなく富士山も山頂は知らない私ですが、植村直己という人は同年ということもあって、勝手に何となく親しみを感じつつ、憧れていました。あれから間もなく30年、冒険家の遺志は多くの人々によって受け継がれていますが、植村は不世出の偉大な登山家であり、冒険家だったような気がします。

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