東西ドイツの合同チーム旗


東西ドイツの合同チーム旗

前回、日韓共催でのワールドカップの時、新潟県十日町の繊維の組合が3.6m×7.2mのクロアチアの国旗を作って、街を練り歩いた話を書きました。

これって安くないんです。作り方のもよりますが、本格的に1流(枚)だけ作るなら数十万円もするのです。十日町の応援にいかに熱が入っているかを示すシンボルだったかもしれません。

東京・千駄ヶ谷の国立競技場のメインポールには3.0m×4.5mの国旗が掲げられてきました。これは東京オリンピックの時に、私がそう決めたのを踏襲してくれているからです。

1~3位まで独占する国が出かねませんから、米ソ独など強国と思われる国の旗は3枚ずつ準備していたのです。もちろん、「日の丸」もそうでしたが、残念ながら、陸上競技では円谷選手がマラソンで3位になったのが唯一の掲揚でした。

複数を掲げたのは、男子では200mで米国が1、2位、1,500mでニュージーランドが1、3位、5,000mで米国が1、3位、110mハードルでアマリカが1、2位、三段跳びでソ連が2、3位、走り高跳びで米国が2、3位、棒高跳びでドイツが2、3位、砲丸投げで米国が1、2位、円盤投げで米国が1、3位、十種競技でドイツが1、3位という場合だけでした。女子では100mで米国が1、2位、砲丸投げと近代五種でソ連が1、3位を獲得しました。

ドイツは1956年のコルティナダンペツォ(伊)での冬のオリンピクからこの大会まで、東西合同チームを構成しての参加でした。「国旗」は、東西ドイツに共通の黒、赤、金(黄色)の横三色旗(ワイマール共和国時代の国旗)の赤い部分にオリンピックのシンボルである五輪をくりぬいた旗を使いました。国歌はベートーベンの「第9」の「歓喜の歌」でした。

十種競技で、西ドイツ出身のホルドルフが、後半の種目で追い上げてきたソ連のレイン・アウンをかわして、この種目でドイツにオリンピック史上初となる金メダルをもたらしたのでした。

表彰式でその「歓喜の歌」が流れた時、電光掲示板のところで、国旗を確認していた私は、ドイツの分裂が悲しいのと、優勝を祝いたい気持ち、そして私より確か1歳しか年長でないこの勝者を讃えたい気持ちなどが交錯して思わず、号泣に近い泣き方をしてしまったのを今でも覚えています。

そして、実際にドイツの統一がかなったのはその後、さらに四半世紀も経ってからのことであり、その間は、この合同チームはなりませんでしたし、この旗も使われることはありませんでした。

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