2012年3月5日、練習艦隊「ジャンヌダルク2012」がトゥーロン軍港を出航するための式典にて。
フランス国旗「三色旗(トリコロール)」は近世史上、世界で最も人気のある旗かも知れません。
一般的に三色旗は近代国民国家、とりわけ共和制の旗であるかのように思われがちです。フランス革命で一挙に知られるようになったからでしょうか。しかし、ベネルックス3国の国旗がそうであるように、そして、帝政ロシアが今のロシア国旗と同じだったように、必ずしも共和制の国の国旗とは限りません。近代欧州の市民革命や自由と独立の旗じるしであり、国民国家と統一の象徴と言った方がよいと思います。古くは英国、オランダ、ロシア、米国がこの三色の旗であり、これにフランスを加えると近代史を飾る主要な国々の大半がこの三色旗だったといえましょう。
1789年7月17日(バスチーユ牢獄襲撃の三日後)、国民軍総司令官のラファイエット将軍が将兵の帽章に採用したのがフランス三色旗の始まりです。赤と青は今のパリ市のマークにもある「パリの色」、白がブルボン王家の色であることから、この三色は王室と市民の融和を図ろうとして選ばれまたものです。しかし、その思いも空しく、93年1月、ルイ16世はあえなく断頭台の露と消えたのでした。
これまた有名な国歌「ラ・マルセーエーズ」が誕生したのはその直前のことです。欧州列強の反革命軍の進攻を防ぎ、東部国境のライン防衛義勇兵の士気を鼓舞するために作られ、95年に正式にフランス共和国の国歌になりました。歌詞は「残忍な敵兵たちが息子たちののどをかき切るぞ」「武器をとれ、進め、われらの後に敵の不純な血があふれる」といった激しい内容です。これでは「あまりに血なまぐさく、東西欧州が平和共存に向かう時代にそぐわない」ということで、1990年代の初め、著名な作曲家マルセル・アブ氏が「子供たちよ、国土を守るため強靱であれ、団結せよ。…立て、平和のために、フランスへの愛のために」と、より平和的でかつ愛国的な歌詞に換え、テンポをやや遅くした「新マルセーエーズ」を構想し、議会でも論議されました。しかし、結局、従来どおりで変更の決定には至りませんでした。「ラ・マルセーエーズ」があまりに親しまれているからでしょう。
ただ、たとえ将来、国歌の改訂があろうとも「三色旗」は不動かと思います。
もっとも、革命後もフランスでは国家と国旗の「揺れ」が続きました。皇帝ナポレオンに代わったルイ18世とその周辺の人々は簡単にいえば「何もかも昔に戻そう」という復古主義の政治を行ない、「三色旗」はついえ去り、フランス王国の旗は、再び、王政のシンボルである白旗となったのです。それが15年続いた後、1830年の「七月革命」でオルレアン王朝のルイ・フィリップが王位に就くや「三色旗」が復帰しました。
それでも、1948年の「二月革命」の時には赤旗まで登場し、フランスは大揺れに揺れましたが、結局、「三色旗」でまとまり、第二共和国、そして、ルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)による第二帝政、さらには1870~71年の普仏戦争で敗れたフランスは、75年から第3共和国(このときにも何度か国家の基本にかかわる「揺れ」がありました)、第二次世界大戦を経ての1946年からの第4共和国、アルジェリア問題で揺れていた58年からのドゴールによる第5共和国と進展し、現在に至っています。
フランス海上用国旗
ただ、第2帝政時代には、青白赤の3色が「30:33:37」であり、第4共和国憲法では「同じ幅の3本の縦帯」(第二条①)と規定され、第5共和国憲法(第二条②)ではその言葉が消え、「国家の標章は、青白赤の三色旗である」とだけになりました。
フランスでは今でも海上用の国旗は「30:33:37」であり、国旗はほとんどが三等分のものが掲げられています。
その実物の写真がほしかったのですが、昨年もフランスに行ったのですが、セーヌ川の観光船は三等分の三色旗でしたので、この比率の国旗には出会えませんでした。それを今回、友人から入手することが出来ました。このように確かに三色は三等分ではないのです。