私は自慢じゃないのですが、「物持ちがよくて忘れっぽい」のです。床屋とサインポールについて(株)理容文化社に往復はがきで問合せすばらしい回答をいただいていたことをふと思い出し、ようやく探し出しました。消印は「昭和37年○月29日」(月名は不鮮明)となっていますからちょうど50年前のことです。今でも感謝しています。
内容としては今まで述べてきたことと大差ないのですが、サインポールが日本に入ったのは<「断髪令(明治4年)」が発令される前後だと思う>というところと「世界共通の標識である」という2点に注目しました。「断髪令」(正式には断髪廃刀令)とは、1871年9月23日に出された太政官布告。これで髷を結わなくてもいいということになり、やがて床屋が街に並ぶようになったといわれています。サインポールがこのころからというならば、私が連想するのはその前年に同じ太政官布告の形で「日の丸」が「商船に掲ぐべき御国旗」として決められているように、いずれもフランスの影響が大きかったのかな、と思うのですが、さらに調べてみましょう。皆様のご意見も伺いたいものです。
岩倉使節団(総勢107名)は、明治4年11月12日(1871年12月23日)から明治6年(1873年)9月13日まで、日本からアメリカ合衆国、ヨーロッパ諸国に派遣されました。
これは同使節団幹部の出発前の写真。左から木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通。断髪令はその50日ほど前に出されたが、中央の岩倉は髷を結っています。
約2年後、欧米視察から戻った岩倉が断髪した写真
また、私は外国でサインポールを見かけたことは何度か記憶にあるのですが、写真を撮ったことがありません。どなたか、外国の床屋にあるサインポールの写真を送ってくださいませんか?
送り先:fukiura☆eri-21.jp(☆を@に変えてください)
また、本稿の最初に述べたように、「床屋」というのが差別用語とか「放送禁止用語」という説もあるようです。それでは、童謡『あわて床屋』(作詞:北原白秋 作曲:山田耕筰)はどう歌うべきなのでしょう。この曲が発表された年、1923年ころには誰もが「床屋」と言っていたので、
春は 早うから 川辺の葦に
蟹が 店出し 床屋で ござる
チョッキン チョッキン チョッキンナ
と楽しく歌われてきたのではないでしょうか。
それが放送禁止になったり、教科書から消えるようなことがあったら、それは日本の文化や伝統をひん曲げることになりませんか? 全国の床屋さん、いかがですか?
それとも「蟹が 店出し 理容師で ござる」とでもやるんですか?