新藤監督の「一枚のハガキ」
ウクライナの風景
5月29日、文化勲章受章者でもある映画監督・新藤兼人が100歳で亡くなくなられました。合掌。
新藤は社会派、それも主として「反戦・平和」の視点から、日本の暗い面、負の遺産をえぐった作品をたくさん遺しました。
「原爆の子」(1952)、「第五福竜丸」(1959)、「裸の島」(1960)、「さくら隊散る」(1988)…、内外の映画祭でさまざまな賞を獲得した作品が思い浮かびます。
ただ、私にはその賞の多くが、文化をも戦略的手段としていた冷戦下のソ連が与えるモスクワ映画祭での受賞であることが少し心に引っ掛かるのです。
「反戦・平和」はもとより私も大賛成です。しかし、それは目的であって手段ではありません。どうやって平和な世界を作るか、二度と戦争に巻き込まれないで済むのかということを、私たちはもっと現実的に考え、対策を備えなくてはいけないと思います。
残念なことに、わが国の周辺では核兵器を装備し、中距離ミサイルを並べ、海軍を大幅に増強しようという国があり、世界には残虐な行為を平然と続ける政権もあります。
ですから、新藤監督がいかに「反戦・平和」をテーマに素晴らしい映画を製作しても、それだけでは事態は改善されないし、将来への備えにもなりえないということを、残念ながら確認せざるを得ません。
それにしても99歳にしてメガフォンをとられた最後の作品「一枚のハガキ」は100人中94人までが戦場で亡くなったという、悲しい、胸塞がされるストーリーです。そのラストシーンは「青い空のもとの麦畑」、あまりに美しい映像のフィナーレです。人間愛と希望をこめたもののように感じました。
このシーンを振り返りつつ、小欄はウクライナの国旗を思い出しました。
ウクライナの国旗が「青い空のもとの麦畑」のデザインであるからだけではなく、ウクライナこそ、本来は大穀倉地帯であるにかかわらず、1930年代に2度にわたる大飢饉を経験し、スターリンによる粛清の嵐が吹きすさび、加えて、第2次世界大戦では独ソ戦の主戦場となり、人口当たり最大の死者を出した悲劇の国だからです。
新藤監督のご冥福を祈るとともに、ウクライナにも人間愛と希望の未来があることを祈ります。再合掌。