「日の丸」「君が代」は侵略戦争の遺物?② – 田原総一朗さんの公式ブログ


日本の国旗

前回、小欄では、日本の国旗にだけ卑屈になるのはおかしい、 安保理常任理事国の国旗にだっていろんな「過去」があるではないかと書きました。

日頃、そんな思いをしている中で、今朝、偶然、田原総一朗さんの公式ブログを拝見しました。コメントもいろいろ付いてますが、私がこれは説得力がある、記憶したいと思う真摯なものをご紹介しましょう。

田原総一朗 公式ブログ
2011年2月4日

田原総一朗です。
僕は、「君が代」にも「日の丸」にもおおいに抵抗感がある。
「太平洋戦争は侵略戦争であり、その侵略のシンボルとして、日の丸・君が代が使われた」と教えられたからだ。
なので僕自身、40歳を過ぎるまでは太平洋戦争は侵略戦争だと思い込んでいた。

だが、40過ぎる頃から太平洋戦争を侵略戦争だと決め付けるのはおかしい、と思い始めた。
歴史を調べると、太平洋戦争を始めた人達の中に、日本が勝つと思っていた人はほとんどいなかった。山本五十六元帥を始め幹部達は半年、長くても1年戦うのが限界だと考えていた。そして半年や1年の戦争で勝てるとは誰も思っていなかった。負けるに決まっている侵略戦争などする人間はいない。太平洋戦争は日本は世界で孤立し、戦争せざるをえないとこへ追い込まれたと僕は捉えている。
なぜ孤立したのか。

僕は、大東亜戦争は侵略戦争ではないと思う。しかし、満州事変と日中戦争は侵略戦争だと捉えている。ただし、満州事変は始めてもイギリスやアメリカが支持してくれる、と思い込んでいた。現にイギリスは日本を支持し、アメリカは干渉しなかった。
侵略戦争が良いとは思わないが、いわゆる先進国はイギリスをはじめ例外なくいずれも侵略戦争をたびたび行い、戦争に勝って相手を植民地にしてきた国である。誤解を恐れずに言えば、勝てば官軍である。

問題は日中戦争だ。日中戦争の発端である盧溝橋事件は中国側が先に撃ったのである。
盧溝橋の現地人は停戦協定を結んだ。ところが参謀本部が中国をやってしまえ、という事になった。
中国を完全に甘くみていたのである。
そして、イギリスやフランスが日本を支持してくれると思い込んでいたのだ。

ところが、その中国の利権を巡ってイギリスと対立関係となった。イギリス、フランス、そしてアメリカ等が日本と険悪な状態になり、ついに孤立してしまった。そして大東亜戦争に突入せざる得なくなった。米・英・蘭、そして中、更にロシアまで敵にして勝てるはずがない。はじめから負けるに決まってる戦争に突入してしまったわけだ。

僕は、戦後「君が代」日の丸は当然作りかえられるものだと思っていた。ところが、結局作り変えられることなく60年以上たってしまった。

僕自身にもおおいに責任はあるが、ここまで来ると抵抗感がありながら
認めざるを得ないのかなと思う。

<コメント>

●いま26才なんですが、君が代、日の丸の歴史についてまったく知識というものがありません。だからかもしれませんが、もっと君が代、日の丸がいいイメージでとらえられるべきだと思います。日本人が持つ、日本という国のイメージがあまりにも悪い。いい日本、いい社会を作るんだという気概を、自分の反省をこめながら、持ちたいと強く思っています。

●私は、日の丸・君が代で戦争を起こしたのだから、日の丸・君が代のままでよい国にならなければ意味がない、国旗・国歌を変えたから良い国になるのか?関係ない、中身は一緒。象徴のすげ替えにしかならない気がします。

●僕自身は、国旗国歌に非常に違和感があります。
戦争について解釈に差があれど、中国や東南アジアでの日本の行動を
単に国際的孤立や、英や仏がやったから日も…という理由だからといって
認められるはずはないでしょう。
中国については、同感です。侵略戦争です。

●サッカーの応援を見てても、未だに日章旗を掲げている人がいます。
あれを歴史を知ってみたとき、日本の無知と恥を痛烈に感じました。
あれを見た、東・東南アジア諸国の年配の方々はどう思うのでしょうか。
抑圧・武力支配等々を思い出されるのではないかと考えます。
それを踏まえた際に、日本のサッカーなど、半分心苦しく感じます。

●この問題…関わってない人間が複雑にしているようにしか見えません。
田原さんなど「その時代に生きた人」たちの声
とても大切な声だと思います。
私の意見としては「このまま使い続けるべき」だと思っています。

●愛国心教育や国歌の強制とか、そんな難しい事じゃなく
「血塗られていたとしても、歴史があって私達は存在するんです」
アメリカの戦後教育の政策など様々な要素などあると思います。
だから何なのでしょうか…
では、他の物で穴埋めしようとして…ほんとうに「愛(LOVE)」は育まれるのでしょうか。
過去を知っている先人から学びながら、今を生きる事…過去を剥ぎ取って否定して生きる事とは違う気がします。
左寄りの意見かもしれませんがね…。この左だ右だも最近使い方間違ってるとは思うのですが。

●国旗・国歌への思い入れはそれぞれあって良いのですが…
強制されることに違和感・嫌悪感を覚えます。どこかの独裁国家じゃあるまいし。「強制は良くない」という点では現天皇と同じ意見です。

みなさまはどう思われますか?

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