2010年12月17日朝、チュニジア中部のシディ・ブジドで、失業中だったM・ブアジジという26歳の青年が、青果物を街頭で売り始めたところ、販売の許可がないとして警察官が商品や秤を没収、暴行を受け、没収品の返還を求めるや賄賂を要求されました。この青年がこのことに抗議して同日午前11時30分、県庁舎前で焼身自殺を図ったのです。
この国の失業率は公式発表では14%をはるかに超え、実際には青年層では30%に近いとされ、社会には不満が満ちていました。この焼身自殺事件に端を発して反政府デモが発生、拡大し、軍もまた232年に及ぶ独裁を続けているベン=アリー大統領から離反し、1月14日、大統領はサウジアラビアに亡命しました。チュニジアを代表する花がジャスミンであることから、これを「ジャスミン革命」と呼ぶことが定着しています。「アラブの春」の始まりで、その後、リビアのカダフィ政権が倒され、エジプト、シリアと波紋は広がっています。
しかし、この「ジャスミン革命」ではこれまでのところ、チュニジアの国旗は変更されていません。それは中東諸国ではきわめて珍しいことです。
騒乱はエジプトに飛び火しました。
エジプトではホスナー・ムバーラク大統領の非常事態宣言を継続する支配が30年近くにも及び、野党政治家への弾圧は恣意的かつ人権を無視する状況が続いていました。それでも、今世紀に入ってからの経済成長は年間57%以上を遂げてきたのです。しかし、チュニジアと同じく様年層の失業率は高く、20代では2割という報告もあります。また、国民の4割以上が1USドル以下で、また、約2割は1日2USドル以下で生活しているとも言われる中で、物価高は深刻でした。
そんな中でチュニジアの政変がエジプトに飛び火しました。既に2010年6月にインターネットを通じて警察の不正(薬物犯罪担当警察官による麻薬の密売)を告発・追及したアレクサンドリア出身のコンピュータ技術者H・ザイードが、官憲に撲殺されたという事件が起こって、国民の同情を買っていました。そんな下地がある中での「ジャスミン革命」、2011年1月14日には首都カイロのチュニジア大使館前で反政府デモが発生しました。そして、1月17日から18日にかけてはカイロやアレクサンドリアなどで合わせて3人が抗議と反抗を呼びかける焼身自殺を図りました。
イスラム教の礼拝日である金曜日に合わせ、ネットやクチコミで呼びかけたデモが急速に盛り上がり、大統領は2月11日、ついに退陣を表明したのです。その後収監され、さらに病床に伏していたムバーラク前大統領は2012年6月20日、逝去しました。